のだめ映画を見てきた。映画館で映画を見るのは久しぶり。
のだめ映画に興味はあったが、またレンタルできるようになってから見ればいいやというのが我が家の標準的なペース。しかし今回は、友人(*)に誘われて足を運ぶきっかけができた。
この友人は音楽好きというわけではなくて、私のブログも「バイオリンはよくわからないから」子どもネタの回あたりしか読まないという人だ。なのに、のだめの映画はどうしても行きたくていっしょに行ってくれる相手を探していたというのはちょっと意外な感じだけれども、「ぎゃぼーんとかいうギャグ漫画な感じと、音楽のあたりのシリアスな感じのギャップ(ミックス?)がよい」とのこと。
一方私は、のだめの大ファンではあるけどアニメやドラマは一通り見たくらいで、あくまで漫画のファン。そのわりになぜのだめ関連CDとか何枚も持ってるのかって…リアルなドラマを撮るために音楽関係者が音作りにかけた熱意にほだされたんです。
友人との待ち合わせを決めた先週、映画館サイトの情報によれば初回は10:40開始ということでそれを前提にしていたところ、実際に行ってみると「今日から時間が変更になりました」とのことで10:00からちょうど始まってしまっていた。そこで12:45の回を買うことになったが、まぁ、どのみち私と友人はおしゃべりするのと映画と両方が目的なのでその順番が変わっただけの話だ。そんなわけでど真ん中の席が取れた。
ベストポジションで見る大スクリーンはとても迫力があり、その迫力で「のだめカレー」や「変態の森」が迫ってくるわけでもあるが(^^;; 結局のところ今回の一番の魅力はやっぱり音楽シーンの充実ぶりだと思う。それぞれの音楽シーンはたっぷり時間を取っていてかなりじっくり聞かせてくれる。
黒木くんのオーディション曲などは「もっと聞いていたい」という感じのダイジェストだったけれども、新生マルレオケを聴かせる1812年とか、のだめが試験で「トレビアン」を取るトルコ行進曲などはフルサイズに近い。千秋のバッハ協奏曲弾き振りの場面は短いけどかっこよかった(**)。
「絵画」でも「音楽」でも、そういった「芸術」を鑑賞するにあたっては、楽しむ側の素養や心持ちというものが必要だ。「絵画」であれば見所がわかっている人はじっくり、わかってない人はあっさり足早に通り過ぎることもできる。しかし、「音楽」は聞き手の状態に頓着することなく、きっかり時間を取って聞かされてしまうので、そんなに長時間楽しく鑑賞することができない人は、寝るくらいしかできない。
のだめの映画では、特に音楽ファンでない人にも、かなりの時間を取って音楽を聞かせてしまいながら、そのドラマ性、演奏者の心の動きや視覚的効果によって飽きさせずにつないでしまう。しかもそれが、単に時間つなぎ、時間つぶしということでなく、音楽そのものを楽しむきっかけやヒントにもなっている。
だから、のだめきっかけでピアノを再開した人がいたり、これまでまったく行かなかったコンサートに足を運ぶ人がいたりというのはとてもうなずける。音楽業界の人々がこの映画やアニメの製作に本気で関わるのも、業界発展のためにたいへん理にかなったことである。ヒカ碁に梅沢ゆかりが協力して漫画のストーリーを盛り上げる魅力ある局面を作ったように。
私自身は、ピアノも再開しバイオリンも始めた状況でさらに「のだめ」を見て、特に感じたことは、表現の苦しみと楽しみということである。音楽の才能がある人でも結局、人を感動させる演奏を作るところまでには、気の遠くなるような膨大な勉強(テクニック的な訓練の面と、知識考察の面の両方から)の日々と、表現する内容を作る豊かな発想、その両方が必要で、そのことについてはものすごい葛藤や苦しみがある。そしてそれを出し切っていい演奏ができた暁には、演奏した方と聞く方、両方に至福のときが訪れるわけである。
で、明らかにそんなレベルじゃない素人でも…程度が違っても結局は同じことなのかなと思う。面倒なこと、できないことから逃げているだけではおもしろいところも逃げてしまう。今なんとなくピアノとの付き合い方がわからないでいるのは、いいとこどりをしようという無理なことを狙っているからなのかなということを考えたりした。
(*)この友人はあまりこのブログに登場していないが、旧ブログ始めたてのときの「心の整理整頓」に出てくるかなり古くからのつきあいである。
(**) 先日のコントラバス演奏会で「いい男のツボ」という話をしたが、この千秋(をやってる俳優さん)は私の「いい男センサー」がちっとも反応しない。別に指揮の動作が不自然だからとかいうことじゃないんだけど…指揮についてはだいぶ前よりよくなりましたね。なんかベクトルが違うんだよね。って、誰も聞いてないか(^^;;
のだめ映画に興味はあったが、またレンタルできるようになってから見ればいいやというのが我が家の標準的なペース。しかし今回は、友人(*)に誘われて足を運ぶきっかけができた。
この友人は音楽好きというわけではなくて、私のブログも「バイオリンはよくわからないから」子どもネタの回あたりしか読まないという人だ。なのに、のだめの映画はどうしても行きたくていっしょに行ってくれる相手を探していたというのはちょっと意外な感じだけれども、「ぎゃぼーんとかいうギャグ漫画な感じと、音楽のあたりのシリアスな感じのギャップ(ミックス?)がよい」とのこと。
一方私は、のだめの大ファンではあるけどアニメやドラマは一通り見たくらいで、あくまで漫画のファン。そのわりになぜのだめ関連CDとか何枚も持ってるのかって…リアルなドラマを撮るために音楽関係者が音作りにかけた熱意にほだされたんです。
友人との待ち合わせを決めた先週、映画館サイトの情報によれば初回は10:40開始ということでそれを前提にしていたところ、実際に行ってみると「今日から時間が変更になりました」とのことで10:00からちょうど始まってしまっていた。そこで12:45の回を買うことになったが、まぁ、どのみち私と友人はおしゃべりするのと映画と両方が目的なのでその順番が変わっただけの話だ。そんなわけでど真ん中の席が取れた。
ベストポジションで見る大スクリーンはとても迫力があり、その迫力で「のだめカレー」や「変態の森」が迫ってくるわけでもあるが(^^;; 結局のところ今回の一番の魅力はやっぱり音楽シーンの充実ぶりだと思う。それぞれの音楽シーンはたっぷり時間を取っていてかなりじっくり聞かせてくれる。
黒木くんのオーディション曲などは「もっと聞いていたい」という感じのダイジェストだったけれども、新生マルレオケを聴かせる1812年とか、のだめが試験で「トレビアン」を取るトルコ行進曲などはフルサイズに近い。千秋のバッハ協奏曲弾き振りの場面は短いけどかっこよかった(**)。
「絵画」でも「音楽」でも、そういった「芸術」を鑑賞するにあたっては、楽しむ側の素養や心持ちというものが必要だ。「絵画」であれば見所がわかっている人はじっくり、わかってない人はあっさり足早に通り過ぎることもできる。しかし、「音楽」は聞き手の状態に頓着することなく、きっかり時間を取って聞かされてしまうので、そんなに長時間楽しく鑑賞することができない人は、寝るくらいしかできない。
のだめの映画では、特に音楽ファンでない人にも、かなりの時間を取って音楽を聞かせてしまいながら、そのドラマ性、演奏者の心の動きや視覚的効果によって飽きさせずにつないでしまう。しかもそれが、単に時間つなぎ、時間つぶしということでなく、音楽そのものを楽しむきっかけやヒントにもなっている。
だから、のだめきっかけでピアノを再開した人がいたり、これまでまったく行かなかったコンサートに足を運ぶ人がいたりというのはとてもうなずける。音楽業界の人々がこの映画やアニメの製作に本気で関わるのも、業界発展のためにたいへん理にかなったことである。ヒカ碁に梅沢ゆかりが協力して漫画のストーリーを盛り上げる魅力ある局面を作ったように。
私自身は、ピアノも再開しバイオリンも始めた状況でさらに「のだめ」を見て、特に感じたことは、表現の苦しみと楽しみということである。音楽の才能がある人でも結局、人を感動させる演奏を作るところまでには、気の遠くなるような膨大な勉強(テクニック的な訓練の面と、知識考察の面の両方から)の日々と、表現する内容を作る豊かな発想、その両方が必要で、そのことについてはものすごい葛藤や苦しみがある。そしてそれを出し切っていい演奏ができた暁には、演奏した方と聞く方、両方に至福のときが訪れるわけである。
で、明らかにそんなレベルじゃない素人でも…程度が違っても結局は同じことなのかなと思う。面倒なこと、できないことから逃げているだけではおもしろいところも逃げてしまう。今なんとなくピアノとの付き合い方がわからないでいるのは、いいとこどりをしようという無理なことを狙っているからなのかなということを考えたりした。
(*)この友人はあまりこのブログに登場していないが、旧ブログ始めたてのときの「心の整理整頓」に出てくるかなり古くからのつきあいである。
(**) 先日のコントラバス演奏会で「いい男のツボ」という話をしたが、この千秋(をやってる俳優さん)は私の「いい男センサー」がちっとも反応しない。別に指揮の動作が不自然だからとかいうことじゃないんだけど…指揮についてはだいぶ前よりよくなりましたね。なんかベクトルが違うんだよね。って、誰も聞いてないか(^^;;