不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

最後の冷やし中華

2013-08-21 22:20:10 | 即興小説トレーニング
 笑顔で用件を聞いてみる。
 実際こういう事態に遭遇した場合には相当に不味い対応なのだそうだが、結果として私はそうしてしまった。
 すると男は、狭苦しい建て売り住宅の一室で私に包丁を突きつけたまま、哀願するような口調で答えた。
「お願いだから冷やし中華を作って下さい」

 材料はありますかと尋ねた私も相当なものだと後で思ったが、案の定、冷蔵庫にあったのはしなびた胡瓜と紅ショウガくらいだった。
「冷やし中華って、何で出来ているか御存知ですか?」
 何だかこちらの方が凶暴な気分になってしまい、つい強い口調で詰問すると、男は相変わらず切っ先の定まらない包丁を持て余し気味に構えたまま、すみませんすみませんとひたすら謝ってくる。仕方ないので私は自分が持っていたバッグから手帳とペンを取り出し(男は一瞬だけ身構えかけたが、すぐに身を引いて私のするがままに任せた)中華料理を作る際の材料を思い付く限り並べていく。
「錦糸玉子は必要ですか、え?錦糸卵が何か判らない?貴方それでよく冷やし中華を食べたいなんて言い出せましたね!」
 あまりにものを知らない男に対する苛立ちを隠す気にもならず、私はズケズケと言いたいことを並べたてる。包丁で私を脅しているはずの男は、その度にすみませんすみませんと身を縮こまらせて謝ってきた。
「もういいです、買い物は私が行きますから貴方はここで待っていて下さい」
 え…… それはその、と私の行く手を阻もうとした男を極めて物騒な目付きで睨み付けてやると、なけなしの蛮勇を使い切ってしまったらしい男がしょげかえる。
「こうなったら作ってみせますわよ、私の知っている冷やし中華を!」

 そんなわけで中華蕎麦を買い、付け合わせの野菜とハム、それに錦糸玉子用に卵を買い、男の家に戻った私はこの家に連れてこられてから度々鼻を突く悪臭に顔を顰めながらも、薄汚い台所で薄焼き玉子を作って細切りし、胡瓜やハムも同じサイズに揃えて切り、トマトは飾り切りにしておいた。ただ、台所にあった包丁は錆びて使い物にならなくなっていたので、男が構えていた包丁を脅し取った。当然のように男は情けない表情になったが、何か文句があるのかと凄んだら黙った。
 料理の戦力として男を当てにする気は全くなかったし、事実何の役にも立たなかったが、男は台所の隅の邪魔にならない辺りで佇みながらぽつり、ぽつりと自分の身の上を語った。

 気の弱い性格が災いして、他人に踏みつけられてばかりの人生を送ったこと。
 ようやく結婚した妻は、男の貯金を食い潰した挙げ句に間男と逃げたこと。

 聞いていて気が滅入るような告白を文字通り聞き流し、私はひたすら冷やし中華の作成に勤しんだ。
 やがて、中華料理屋のメニューとして出すには少し恥ずかしいが、家庭料理としては及第点以上と思われる冷やし中華が完成した。
 男は有難うございますと何度も礼を言ってから、相対した中華料理を情熱的に、だが細心の注意を払って口に運んでいく。私は無言でその様を見詰めていた。
「まさか、この歳になってから、こんな風に他人に親切にして貰えるとは思いませんでした。何のお礼も出来ませんが、本当に有難うございました」

 酷く時間を掛けて食べ終え、空になった皿。
 そして、空になった皿を前にした男。 
 次の瞬間、その姿は蛍火のようにかき消えた。

 あの人は、最期に一瞬でも幸せを感じることが出来たのだろうかと、私は考える。
 気が弱く、損ばかりしていて、仕舞いにはようやく結婚した妻に逃げられ、たった一人で死んでいったあの人。
 恐らく逃げた妻のお腹に自分の娘が宿っていたことも知らず、産まれた娘がどのように育ったかも知らず、実の父親がどんな人だったのかを知りたくて尋ねてきた娘に包丁を突きつけてまで、生前大好きだったであろう冷やし中華を食べたがったあの人。

 住宅内に漂う異臭にもう一度顔を顰めてから、私は自分のバッグから携帯を取り出した。
 そして、警察に電話した。
コメント

餃子のある食卓

2013-08-20 22:14:31 | 即興小説トレーニング
 小間微塵に刻んだキャベツに塩を振り、水分を絞る。
 合い挽き肉に調味料を混ぜ込んで練る際は、やりすぎると具が固くなるので程々に。ハンバーグの時とは違い、ふんわりと最小限混ぜ込むイメージで行うのがポイントだ。
 皮に乗せる具材の目安は大体三分の一、外側に水を塗った皮を左端から襞にして畳んで行くのが私流。
 サラダオイルを引いて熱した厚手のフライパンに餃子を置いて三分、引っ繰り返して二分、更に水を差して二分。
 昔はともかく最近の餃子は外観の整い方は元より、焼いたときの身崩れや皮剥がれもない。修行の成果と言っても良いだろう。
 
 そんなわけで手作りで餃子を作ると、つい作りすぎてしまう。大体は金属のバットにラップを敷き詰め、重ならないように餃子を並べてから再びラップを掛けて冷凍庫に突っ込んで冷凍してしまうのだが、今日はいなくなってしまった息子の分も焼いて皿に載せ、食卓に置いた。
「あんたも、そろそろいい加減にしたら?」

 息子は三年ほど前、文字通り『いなくなった』。
 警察にも捜索を依頼して随分と探したのだが、今のところ見付かっていない。
 そんな息子が、どうやら本当に『単に姿を消しただけ』らしいと気付いたのは最近だった。ふとした弾みに息子の気配を感じて振り向くと、ちょうど私の視界すれすれから駆け去る人影が一瞬よぎったのだ。それは一度や二度ではなく、私は何とか息子の姿を視界に捉えようと素早く動いてみるのだが、どうしてもその姿をまともに見据えることは出来ないでいる。

 私は食卓に着き、テーブルに置いた幾つかの小瓶から醤油、酢、それにラー油を小皿に取り、餃子を一口頂いてから、こんどはご飯に箸を伸ばす。
 息子は偏食が激しく、ご飯を全部食べ終わってもおかずを残しているような子だった。きちんと全部食べさせようとしてもぐずるばかりで、食卓は一向に片付かなかった。

 夫は息子や家庭、それに私に対しても無関心で、ただ自分の生活を維持してくれる『家庭』だけを欲しているような人だった。そして、『家庭』のメンバーである息子が失われた途端、私ごと、それを捨てた。

 私は一人で食事を続ける。餃子のタネに混ぜ込む調味料は潰して刻んだニンニクと生姜を心持ち多めに混ぜ込むと味の失敗が少ない。何度も作った末の結論だから間違いない。でも、息子は私の餃子を碌に食べなかった。不味いと言い放った。碌に家事の手伝いもしないままに養われている身で、私のことなんか大嫌いだと言い放った。
 だから。

 息子はこの三年の間にどんどん目減りしていき、もう少しで完全に『いなくなる』。
 その筈なのに、私の視界をよぎる人影は消えない。けれど、私は多分、その姿を視界に捉えることが出来ない方が良いのだ。それは多分、脳天を割られた血まみれの姿か、さもなければ関節ごとにバラバラになってパーツごとに転がっているのだろうから。

 
コメント

旅する絵描き

2013-08-19 20:59:48 | 即興小説トレーニング
 似顔絵をどうですかと聞かれたイントネーションが西の方の言葉らしく聞こえたので、一枚頼むついでに出身地を尋ねたところ大阪だと答えが返ってきた。
「でも、もう捨てましたけどね」
 やや訛りの残る絵描きの言葉に、僕は黙り込む。
 偏見かも知れないが、西日本の人たちは故郷を離れても出身地の方言を使い続ける印象があったので、それを捨てたと言い切るには余程の事情があったのだろう。しかし、絵描きは画用紙に鉛筆を走らせながら僕の顔を見ると、不思議な笑みを浮かべながら答えた。
「貴方は良い人ですね。お礼に、滅多に他人には話さない私の秘密を教えて差し上げます」
 正直、初対面の絵描きに『私の秘密』と言われても大した興味は湧かなかったが、まあ似顔絵が描き上がるまでの暇潰しにはなるだろうと話を促してみせる。

「私はね、後ろの人が見えるんです」
 そう言われて、つい自分の背後に視線を移してしまった僕に、絵描きは相変わらず不思議な笑みを浮かべながら続けた。
「いやいや、普通のひとには見えないですよ。大体は生きている人間じゃないし、たまには人間ですらありませんから」
「それは、いわゆる背後霊ですか?」
「さあ…… 、実は私も自分が何を見ているのか、正確なところは判らないんですよ」
 ああ絵が完成しました、どうぞ。とスケッチブックから一枚紙を破って渡してきた絵描きに、僕は面白半分で提案してみる。
「それじゃ、もう一枚頼めますか?ただし、今度は僕の後ろにいる相手を書いて欲しいのですが」
 すると絵描きは少し首を傾げるような恰好で眼を細め、僕の背後らしき場所にいま一つ定まらない視線を向け、やがて再び元の目付きに戻ってから答える。
「良いでしょう、ああ、お代は一枚目と同じ金額で結構です」
 
 先程と同じくらいの速さで絵描きの鉛筆が描き出したのは、猫を抱いた紳士だった。服装からするとかなり昔の、多分明治とか大正とか、昭和でも戦前とか、そんな時代の人だろうか。しゃんと背筋を伸ばし、丸眼鏡を掛けた神経質そうな目付きをしているが見覚えはない。家の仏間に並んだ遺影でも見たことのない人だ。
 しかし僕の主な関心は紳士ではなく、紳士が抱いた不細工極まりない猫の方に向けられた。
「これ…… ブッチだ」
 僕が子どもの頃から家にいた、丸々太ったブチ猫。寝るか食べるか以外をしていることは殆どなかった、ぐうたらで怠け者な、大好きだった同居猫。
 二十年近く生きた末、お定まりのようにある日突然行方をくらまして、そのまま帰ってこなかったコイツを、まだ学生だった僕は猫じゃらしと猫缶を携えて何日も近所を探し回ったのだ。
「本当は貴方のところに帰りたかったみたいですね。でも、躰はもう動かなくて、だからこうやって」
「…… そうですか」
「ちなみに紳士は貴方のお祖父さんの弟さんだそうです。生前の貴方に会ったことはないらしいですが、何でも貴方が兄弟で一番仲の良かったお祖父さんにそっくりなのだそうで」
「そうですか、有難うございました」
 僕が少しだけ料金を多めに払うと、絵描きは遠慮しながらもそれを受け取ってから言った。
「でも、今回は良かったですよ。お客さんのように良い人に当たりましたから。
 本当に色々な人に会いますよ。良い人も、悪い人も。
 だから、あちこちを流れながら、こうやって絵を描き続けていれば、やがて私の求める相手に出会えるような気がしましてね」
「求める相手?」
「私の婚約者を殺した連中です」
 息を呑む僕に、絵描きは先程とは打って変わった貼り付いた笑みを満面に浮かべて続ける。
「結婚式の三日ほど前に夜道で襲われましてね、ウエディングドレスを着たまま手首を切ったそうです。
 だから私は探しているんです、そして連中の後ろにいる連中を描き出して突きつけてやるんですよ。大概はとんでもない化け者か、思い出したくもない姿を見せ付けられて発狂しますがね。」
 あと三人ほど残っているんです。そう呟くの絵描きに背を向け、僕は足早にその場を立ち去った。

 家に帰って母に絵を見せたところ、小さい頃に憧れていた親戚の叔父さんのそっくりさんがブッチを抱いていると喜び、強奪された。
 僕は止めなかった。

 
コメント

とあるオフ会

2013-08-18 19:35:39 | 即興小説トレーニング
 ドアを開けると、そこは文字通りの修羅場だった。
 何だか良く判らないが、僕も呼ばれたオフ会の会場でメンバーの何人かが血まみれになって転がっている。後の何人かは呆然と座り込み、他の何人かは引きつったような悲鳴を上げ続け、最後の一人が酷く事務的な表情と口調で携帯で何かを話していた。
 取りあえず僕はドアを閉め、本日予約していたホテルに向かった。

※ ※ ※

 初めは単なる悪戯だった。けれども仕掛けられた相手は本気で嫌がり、その態度を面白がった相手は更に相手に対しての嫌がらせを続けた。そろそろヤバイと相手方を宥めても『ノリの悪い奴』で片付けられ、どうしたものかと悩み始めた矢先に仕掛けられた相手が暴発した。
 ビール瓶が殺傷用の兇器になる場面を、生まれてはじめて見た。

※ ※ ※

 面白かったから、つい悪ノリした。やがて気弱に笑っていた向こうの顔から表情が消え、代わりに刺すような輝きがオレに向けられ始めた直後。さすがにヤバイと思ってそろそろ冗談で済ませようとした直後。獣のような雄叫びと共に視界が真っ赤に染まった。後は覚えていない。


※ ※ ※

 ひとつ、ふたつと数えているうちに限界を超えた。止めろと相手が本気で言っているのに気付かない連中が悪い。瓶を振り下ろしているときは奇妙に頭が冴え渡っていて、執拗に相手に向かって瓶を振り下ろす自分を見下ろす、これからどうなるんだろうとばかりに無責任に見物しているもう一人の自分を感じていた。とりあえず、結果がどうなるかは考えなかった。

※ ※ ※

 何の関係もないのに巻き込まれた。嫌がらせが始まって場の雰囲気が悪くなったと思っていたら突然の暴力沙汰。今日は楽しく趣味の話をするために集まったはずなのに、もうオフ会なんか二度と参加しない。

※ ※ ※

 結果として重軽傷者三人を出し、会場になった店の個室を滅茶苦茶にしたオフ会は、しかし、それ故に遅刻者が持ち込んで参加者全員に飲ませようとした猛毒入りビールの使用を阻んだ。
コメント

ぶっく・ばぐす

2013-08-17 20:46:28 | 即興小説トレーニング
 『細雪』は読んだことがないなあ、と、悠は言った。
「そもそも日本の純文学?っての、昔はあまり判らなくて、まあ年相応に今で言うライトノベルとか推理ものとか、あとは何か執拗に実録犯罪ものを読んでいたかな。『FBI心理分析官』がブレイクする遥か前の話だけど」
「今で言う…… って、昔はラノベのことなんて言ってたの?」
「ニュアンスは大分違うけどジュブナイルかな。他にも何かあった気がするけど思い出せない」
「ファンタジー小説とかは読んでた?」
「エンデは何冊か、あと洋物で特に印象的だったのは『ペガーナの神々』、『ピポ王子の冒険』、『ラベンダードラゴン』かな。実は『ナルニア』シリーズは映画になってから読んだ」
「推理ものって、本格推理小説?」
「いやいや、乱歩に横溝、あとは割と初期の高橋克彦とかしか読んでない。『殺戮に至る病』は読んだけど、あれは作者の我孫子がゲーム脚本書いてた関係で興味持ったし」
「それじゃ、子どもの頃はどんな本を?」
「あんまり覚えてないなあ。印象深い内容で未だに忘れられない本もあるけど。実はうちの小学校、貸し出しカードが六年記録されてて、卒業時に返してくれるんだけど、僕は校内二番目の貸し出し数だったってさ」
 まあ、小学生の頃って、多分僕の人生の中で一番本を読んでいた時期だと思うよ。週末になると家から四キロくらい離れた図書館に歩いて通って本を限界数まで借りたりしていたし。そんな悠に私は答えた。
「知ってるよ。と言うか有名だったんだよ悠、本の虫だって」
 へ?そうなの。というか、何で聡美がそんなこと知ってるんだ?と尋ねてきたので、私は言った。
「だって、あの学校で図書貸し出し数が校内三番目だったの、私だから」   
コメント

家に帰ると、妻が

2013-08-16 12:41:52 | 即興小説トレーニング
 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしている旦那は大変だと思うが、家に帰ると血痕だけを残して妻の姿が見えなくなっていた僕と、どっちが不幸だろうか。

 もちろん身に覚えはない、夫婦げんかもDVも我が家には縁のない事柄だ。流石に万年新婚夫婦とは言わないが、それなりに二人で仲良くやっていると思うし、マイホーム資金を貯めながらの狭い団地暮らしなので、少なくとも今のところはどちらの両親とも同居の話は出ていない。

 あまりに衝撃的な事柄に出くわすと人間の感覚というのは麻痺するものだが、今回の僕も例外ではなく、とにかく何があったのだろうと周囲を見回す。すると、玄関脇の靴箱に置かれていた結婚祝いに貰った花瓶が粉々になっているのに気付いた。破片は玄関先にも飛び散り、決して少ないとは言えない血痕に絡みついていた。良く見ると部屋の奥も滅茶苦茶で、冷蔵庫は荒らされ棚は中身が床に散らばり箪笥の引き出しは引っ張り出され…… その時点で僕は自分の携帯で警察を呼び、当然のように大騒ぎになった。

 警官の皆さんが現場検証をはじめた辺りで正気に還った僕は妻の姿が見えないと半狂乱で訴え、騒動は一層激しくなりかけたが、ちょうど外から入ってきたらしい連絡を受けたお巡りさんが何だか微妙な面持ちで話し終えると、僕の妻が見付かったと教えてくれた。何でも、二区画ほど離れた交番に血まみれの男を引き摺って出頭してきたという。

 妻が言うには、お昼過ぎに買い物から帰ったら知らない男が部屋を荒らしていたので思わず声を掛けたら向かってきたのでつい手元にあった花瓶でぶん殴り、流血沙汰に怯えて逃げ出した男を思わず追跡し続け、さっきようやく捕まえたのだそうだ。

 一応は正当防衛が認められたが、警官の皆さんと両親、それに僕にさんざん諫められた妻はしょげ返り、それから元気になるまでが大変だった。

 取りあえず、自分の妻が決して本気にさせてはいけない種類の人間だと早いうちに判ったのは幸運だったと思うことにする。
コメント

イタリア良いとこ一度はおいで

2013-08-15 21:53:28 | 即興小説トレーニング
 パスタを食べないと死んでしまうんだ。

 友人にそう言われて『ならとっとと死ね』と即座に答えられるほど、俺は人ではない。
 故に理由を聞いてみると、先日友人がイタリア旅行から戻った際、どうも地元の幽霊を連れ帰ってしまったのが原因らしい。

「だからパスタを」
「そう言うことだな」

 友人に憑いてきてしまった幽霊は、何だかいかにもイタリア男という感じの軽薄そうな若者で、悪霊でもなければ大した影響力もない、いわゆる普通の幽霊らしいのだが、とにかく友人の耳元でパスタが食べたいパスタが食べたいと囁き続けて非常に煩いのだそうだ。

「お陰で旅行から帰ってきてから米の飯が食えない」
「それは大変だな」

 何とか本国にお帰り頂く方法はないかと聞かれて、俺は極めて適当に頭に浮かんだことを口にした。つまり、和風パスタだけ食ってたらどうだと。
 こちらとしては冗談のつもりだったのだが友人によると効果は抜群で、イタリア男の幽霊はいたく憤慨してどこかに行ってしまったらしい。例え本国に帰れなかったとしても、この辺りには本格イタリア料理店が何軒か有るので何とかなるだろう。と言うか、自分で何とかして欲しい。

 それが一年前の話で、懲りもせずにイタリアを再度訪れた友人は、今度は小太りの、いかにもイタリアのマンマという感じの中年女性に憑かれてきた。

「だからピッツァを」
「一人で勝手に寿司ピザでも食ってこい」


コメント

勇者の贈り物

2013-08-15 14:30:10 | 即興小説トレーニング
 友人にスマホを落とされた。
 本体はともかくケースが割れて酷いことになったが、いい加減買い替え時だと思っていたのであっさり許した。
 
 ちなみに、ケースは透明なプラスチック製のものを素体に粘土で自作したマーブルチョコを幾つも並べて貼り付けたデコスイーツ仕様で、友人が必要以上に恐縮したのもそのせいだった。別に自作だからまた作ればいいと私が言ったのは本心だったが、それを額面通りに受け取れるほど友人の神経は太くなかったらしい。

 そんなわけで暫く後、友人は『自分では作れないから』と、私が作った自作ケースに似たデザインで市販のものを必死の思いで探し当ててプレゼントしてくれた。それがどれほど大変だったかは、店頭でもネットでも全くイメージ通りのケースが見付からなくて結局は自作に走った私自身が、それこそ痛いほどに良く判っていた。

『わざわざ有難う』と本心から答えた私は、実は数日前に新しいスマホに乗り換えたばかりだった。

 私の部屋の机脇の壁に、真新しいスイーツデコケースに入った今は使われていないスマホが吊してあるのは、実はそう理由があってのことなのだ。

 ちなみに友人は現在、私が以前プレゼントしたスマホケースを、いつか使う日が来るだろうと机の引き出しに仕舞い込みつつケータイを使っている。  
コメント

虫落とし

2013-08-14 20:47:13 | 即興小説トレーニング
 虫落としの孝司。
 非常に不本意だが、子どもの頃からの僕の渾名というか称号だ。

 何故かは知らないし、今さら知りたくもないが、僕が指さした虫は大小関わりなく必ず地面や床に落ちる。そして、そのまましばらく腹を上にしてじたばたともがいているが、やがて正気を取り戻したように飛び去っていくのだ。
 田舎暮らしの男児にとって、どんな虫でも捕まえられるというのが、どれだけのステータスになるかは、田舎で子ども時代を過ごした男児にしか判らないだろうが、それはもう凄いものだった。特に夏場はカブトムシやクワガタ、オニヤンマやアゲハチョウ、それにミンミンゼミやヒグラシなど取り放題で、あっちのグループこっちの集団と引っ張りだこ。殆どヒーロー扱いだった。

 そんな僕でも一度だけ、本気でゾッとした出来事がある。
 いつものように虫を獲りに虫籠だけを抱えて一人で森に向かった僕は、珍しい獲物を求めてずんずん遠くの方まで分け入り、やがて信じられない程に太くて高い樹を見付けた。見上げるとその樹にはカブトムシやクワガタだけでなく、セミやチョウなど沢山の虫が羽を休めているのが見えた。

 今考えると、どうしてそんな風に大量の虫が一本の樹に集まっていたのかを疑問に持つべきだったのだが、子どもだった僕は夢中になって、いるだけの虫を指さして回った。しまいには一匹一匹指さすのも面倒になって指先を斜めに滑らせたり、十字や籠目を切ってみたりした。

 ふと気が付くと、僕の足元は地面が見えない程に折り重なって足掻く虫たちの姿で埋まっていた。
 思わず僕が手を止めると、虫たちは一斉に正気に還ったように舞い上がり…… 僕の視界は様々な虫によって閉ざされた。悲鳴を上げて駆け出した僕の頬に、腕に、膝にぶち当たる、そして何より足元で砕ける虫たちの感触は未だに夢に見てうなされる事がある。

 そうはいっても、この能力を僕は未だに重宝している。家にゴキブリが出た際、悲鳴を上げる妻の指令で迅速に、確実に片付けることが出来るからだ。
コメント

おにはどこ?

2013-08-14 17:27:09 | 即興小説トレーニング
 吸血鬼の撃退方法の一つに、確か眼前に豆をばらまいてやるというのがあった。そうすると吸血鬼は豆を一粒残らず数えようとするので、その間に逃げ延びることが出来るとか何とか。
「数えた豆をどうするんだろうね、吸血鬼は」
 そんな素朴な問い掛けに、俺は実に投げやりな口調で答える。
「さあな、連中にとっては『数えること』に意義があるんだろう、多分」
「民俗学的にはどんなものなんだろうね、やっぱり一定の法則下で弱点という名の縛りによって物語の…… 」
「知らねえよ、そこまでは。第一吸血鬼に知り合いはいないから、今時の連中が本当に豆を数えるのかも知らねえ」
 ルーマニアに行ったこともないしなと締めくくると、またもや奴は口を開いた。
「え、でもルーマニアもトランシルヴァニアも本来は吸血鬼伝説に関係なかったんでしょ、アレはブラム・ストーカーが勝手にワラキアのヴラド公を吸血鬼のモデルにして…… 」
「んな事は知ってる!だが屍肉食いも含めた吸血鬼伝説が東欧に有るのは本当だ。まあ、あそこは狼男の産地でもあるわけだが」
「ある意味、吸血鬼って人間の生と死に対する根源的な畏れと憧れが入り混じった『影の英雄』だしね…… ところで、歳の数だけの豆を数え終わったよ。そっちが三百七十六個で、こっちが二百三十二個だね」
 でもまあ、人間の世界で暮らしているとは言え、一応は鬼である自分らが年中行事で部屋に豆撒いて、歳の数だけ豆を頂くってのも何かアレだね。そんな風に呟きながら自分の分の豆を囓りだした後輩に、俺は先輩として言ってやった。
「いいんだよ、この国は、ありとあらゆる宗教行事を楽しむ習慣があるんだから」

 それに、人間にだって俺たちより凶悪な『鬼』が混じって日々悪さをやらかしているじゃないか。
  
コメント