一昨日、近所に住む67年来の竹馬の友と二人で「六義園」のしだれ桜を見に行っ
てきた。「六義園」は川越藩主だった柳沢吉保が元禄15年(1702)、江戸駒込の
地に築園した大名庭園である。今は国指定の特別名勝に指定され、東京都が管
理している。
樹齢70年というしだれ桜は、ほぼ満開に近かった。(写真)平日の昼にもかかわら
ず,園内は大勢の花見客で一杯。僕らも老人割引の入場料150円支払って庭園
の景色をめでながら一日を楽しんできた。なかでも僕が何より嬉しかったのは、コン
クリート・ジャングル化した都会では最近味あえなくなった足による土の感触だった。
東京が江戸だった時代には”本郷のかねやすまでが江戸のうち”だった。かねやす
とは当時あった小間物屋の名前で、今はその跡地に、その句碑が立っている。だか
ら「六義園」は今は地下鉄で数駅だが、江戸時代は”江戸のそと”であった。
戦前は東京の区部でも大通りから一歩入れば、道は舗装されていなかった。子ども
の頃男の子も年上の女の子に混じって泥の上にむしろやゴザを敷き”おままごと”遊
びをしたものだった。久しぶりに「六義園」の土を足で踏み、僕は忘れかけていた遠い
少年の頃を想い出した。そういえば、あの頃は摘み草も東京ではできた。馬齢を重ね
た証拠である。老人のセンチメンタルな花見の一日だった。
「六義園」(りくぎえん)のしだれ桜は4月4日の日曜日まで夜間ライトアップされ鑑賞で
きる。JR山手線、東京メトロ駒込駅下車。
てきた。「六義園」は川越藩主だった柳沢吉保が元禄15年(1702)、江戸駒込の
地に築園した大名庭園である。今は国指定の特別名勝に指定され、東京都が管
理している。
樹齢70年というしだれ桜は、ほぼ満開に近かった。(写真)平日の昼にもかかわら
ず,園内は大勢の花見客で一杯。僕らも老人割引の入場料150円支払って庭園
の景色をめでながら一日を楽しんできた。なかでも僕が何より嬉しかったのは、コン
クリート・ジャングル化した都会では最近味あえなくなった足による土の感触だった。
東京が江戸だった時代には”本郷のかねやすまでが江戸のうち”だった。かねやす
とは当時あった小間物屋の名前で、今はその跡地に、その句碑が立っている。だか
ら「六義園」は今は地下鉄で数駅だが、江戸時代は”江戸のそと”であった。
戦前は東京の区部でも大通りから一歩入れば、道は舗装されていなかった。子ども
の頃男の子も年上の女の子に混じって泥の上にむしろやゴザを敷き”おままごと”遊
びをしたものだった。久しぶりに「六義園」の土を足で踏み、僕は忘れかけていた遠い
少年の頃を想い出した。そういえば、あの頃は摘み草も東京ではできた。馬齢を重ね
た証拠である。老人のセンチメンタルな花見の一日だった。
「六義園」(りくぎえん)のしだれ桜は4月4日の日曜日まで夜間ライトアップされ鑑賞で
きる。JR山手線、東京メトロ駒込駅下車。