馬齢を重ねると、夜の会合は苦手である。とくに昨夜のように冷雨の日には!よほど
事前に電話で断ろうと思ったが、やはり昔の同僚と年に一回会えるOB会ともなれば
喜びもあり顔を出した。出れば、それだけに昔の現役時代が偲ばれ楽しいいっときだ
った。
会場は日本の鉄道の発祥の地、旧新橋停車場跡を中心に数年前、開発されたシオト
メ(塩留)サイトの一角のビヤーホール。せっかくの機会なので会の始まる前に旧停車
場跡の鉄道歴史室をのぞいてみた。旧駅舎の外観を残した建物内には昔のホームの
一部や線路、駅舎の礎石などが保存されており、昨日は「正岡子規と明治の鉄道」と
いう特設展も催されていた。
初代の鉄道唱歌(明治23年)「汽笛一声新橋を早我が汽車は離れたり、愛宕の山に入
り残る月を旅路の友として」は、この停車場から汽車が出ていた頃の歌だが、もちろん
僕は知らないし、想い出もない。僕らの世代に懐かしいのは、昭和12年NHKが国民歌
謡として発表した新鉄道唱歌だ。「帝都を後に颯爽と東海道は特急の流線一路富士、桜
燕の影もうららかに」
富士、桜、燕は当時、僕ら少年の憧れの的だった特急列車の名前である。流線といって
も流線型の電車ではなくSLの蒸気機関車であった。列車には1等、2等、3等の色分けの
線が入っていて、少年の夢は1等の展望車に乗ることだった。当時東京ー大阪間は8時
間、今は新幹線で2時間半。隔世の感がある。
事前に電話で断ろうと思ったが、やはり昔の同僚と年に一回会えるOB会ともなれば
喜びもあり顔を出した。出れば、それだけに昔の現役時代が偲ばれ楽しいいっときだ
った。
会場は日本の鉄道の発祥の地、旧新橋停車場跡を中心に数年前、開発されたシオト
メ(塩留)サイトの一角のビヤーホール。せっかくの機会なので会の始まる前に旧停車
場跡の鉄道歴史室をのぞいてみた。旧駅舎の外観を残した建物内には昔のホームの
一部や線路、駅舎の礎石などが保存されており、昨日は「正岡子規と明治の鉄道」と
いう特設展も催されていた。
初代の鉄道唱歌(明治23年)「汽笛一声新橋を早我が汽車は離れたり、愛宕の山に入
り残る月を旅路の友として」は、この停車場から汽車が出ていた頃の歌だが、もちろん
僕は知らないし、想い出もない。僕らの世代に懐かしいのは、昭和12年NHKが国民歌
謡として発表した新鉄道唱歌だ。「帝都を後に颯爽と東海道は特急の流線一路富士、桜
燕の影もうららかに」
富士、桜、燕は当時、僕ら少年の憧れの的だった特急列車の名前である。流線といって
も流線型の電車ではなくSLの蒸気機関車であった。列車には1等、2等、3等の色分けの
線が入っていて、少年の夢は1等の展望車に乗ることだった。当時東京ー大阪間は8時
間、今は新幹線で2時間半。隔世の感がある。