「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      ♯「汽笛一声新橋を」の跡の郷愁

2010-04-24 05:54:41 | Weblog
馬齢を重ねると、夜の会合は苦手である。とくに昨夜のように冷雨の日には!よほど
事前に電話で断ろうと思ったが、やはり昔の同僚と年に一回会えるOB会ともなれば
喜びもあり顔を出した。出れば、それだけに昔の現役時代が偲ばれ楽しいいっときだ
った。

会場は日本の鉄道の発祥の地、旧新橋停車場跡を中心に数年前、開発されたシオト
メ(塩留)サイトの一角のビヤーホール。せっかくの機会なので会の始まる前に旧停車
場跡の鉄道歴史室をのぞいてみた。旧駅舎の外観を残した建物内には昔のホームの
一部や線路、駅舎の礎石などが保存されており、昨日は「正岡子規と明治の鉄道」と
いう特設展も催されていた。

初代の鉄道唱歌(明治23年)「汽笛一声新橋を早我が汽車は離れたり、愛宕の山に入
り残る月を旅路の友として」は、この停車場から汽車が出ていた頃の歌だが、もちろん
僕は知らないし、想い出もない。僕らの世代に懐かしいのは、昭和12年NHKが国民歌
謡として発表した新鉄道唱歌だ。「帝都を後に颯爽と東海道は特急の流線一路富士、桜
燕の影もうららかに」

富士、桜、燕は当時、僕ら少年の憧れの的だった特急列車の名前である。流線といって
も流線型の電車ではなくSLの蒸気機関車であった。列車には1等、2等、3等の色分けの
線が入っていて、少年の夢は1等の展望車に乗ることだった。当時東京ー大阪間は8時
間、今は新幹線で2時間半。隔世の感がある。