中部ジャワ(インドネシア)のトゥマングン(Temanggun)在住のバンバン.プルノモさん(87)から初めてメールを頂戴した。プルノモさんは日本軍政時代の郷土義勇軍(PETA)の一員で、実兄のバンバン.スゲンさん(故人)は、かってインドネシア国軍の参謀総長で、戦後は在日インドネシア大使も務めたことがある。昨年11月、僕はメールで知り合った日本の若い人の紹介でテマングンを訪れ、同地で日本語塾「寺小屋」を経営するプルノモさんと懇談した。その時はメールをされていなかった筈だから、その後勉強されて始めたのだろうか。
僕は戦後のインドネシア独立戦争については詳しくないが、先日たまたま畏友奥源造さん(故人)の著書「帰らなかった日本兵」(昭和62年政界往来社)を読み返してみて驚いた。残留日本兵の一人、池上成人さん(故人)が独立戦争時、テマングン地区でバンバン.スゲン司令官の参謀としてオランダ軍との間の戦闘で大活躍していたのだ。池上さんはこの時の戦闘で右手首を切断された。
池上さんは終戦時マゲランの飛行隊から離脱、インドネシア独立軍に参加、バンバン.スゲンさん率いる第七師団第十七連隊の参謀に就任した。池上さんのインドネシア名チョクロはバンバン.スゲンさんが命名したものだという。昨年11月訪問した時には、僕はこのことをまだ知らなかったからプルノモさんともこの話をしなかった。
奥源造さんの本の副題は「インドネシア独立史から消えた戦士たち」とある。インドネシア独立戦史にはチョクロ池上さんの活躍が記されているのかどうか。奥源造さんの本によるとチョクロ池上は当時、オランダ軍から黒装束の”悪魔隊長”として恐れられていたという。テマングンの街の丘の上にはバンバン.スゲン将軍の銅像とともに戦時中、この町に駐屯していた大分歩兵47連隊磨部隊の記念碑が残されている。こんなジャワの小さな町にも日イの隠れた歴史が刻まれている。
僕は戦後のインドネシア独立戦争については詳しくないが、先日たまたま畏友奥源造さん(故人)の著書「帰らなかった日本兵」(昭和62年政界往来社)を読み返してみて驚いた。残留日本兵の一人、池上成人さん(故人)が独立戦争時、テマングン地区でバンバン.スゲン司令官の参謀としてオランダ軍との間の戦闘で大活躍していたのだ。池上さんはこの時の戦闘で右手首を切断された。
池上さんは終戦時マゲランの飛行隊から離脱、インドネシア独立軍に参加、バンバン.スゲンさん率いる第七師団第十七連隊の参謀に就任した。池上さんのインドネシア名チョクロはバンバン.スゲンさんが命名したものだという。昨年11月訪問した時には、僕はこのことをまだ知らなかったからプルノモさんともこの話をしなかった。
奥源造さんの本の副題は「インドネシア独立史から消えた戦士たち」とある。インドネシア独立戦史にはチョクロ池上さんの活躍が記されているのかどうか。奥源造さんの本によるとチョクロ池上は当時、オランダ軍から黒装束の”悪魔隊長”として恐れられていたという。テマングンの街の丘の上にはバンバン.スゲン将軍の銅像とともに戦時中、この町に駐屯していた大分歩兵47連隊磨部隊の記念碑が残されている。こんなジャワの小さな町にも日イの隠れた歴史が刻まれている。