「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「事件記者」の死と昔の取材合戦

2015-05-11 06:43:36 | Weblog
テレビ草創期であった昭和32年から41年にかけてNHKの人気番組「事件記者」で”伊那ちゃん”役をしていた俳優の滝田裕介さんがなくなった。僕と同じ84歳である。「事件記者」は警視庁の記者クラブ「桜田クラブ」と、夜の記者たちの溜まり場の居酒屋「ひさご」を舞台に、記者たちの取材合戦を描いたドラマで、常時視聴率が30パーセントを超す人気ドラマであった。

僕はこのドラマのすこし前の30年から約1年間、警視庁詰めの事件記者をしていた。当時警視庁の記者倶楽部は二つあって、一つは「七社会」といって古い新聞社(朝日、毎日、読売、日経,東京、共同通信)六社で構成されていた。六社なのに「七社会」といったのは、加盟社の一つ、時事新報が産経新聞と合併して「産経時事」と改名したが、会社が違うという理由から加盟を認められなかったからだ。僕はNHKや他の民放と一緒に「警視庁クラブ」に属していた。確か、二つとも警視庁から一室を提供され、四六時中記者が詰めており畳敷きの寝室もあった。

まだ警視庁の広報活動は十分ではなく、殺人事件が発生しても連絡がなく、僕らは日課として鑑識課の部屋を訪れ、事件に出動していないかどうかをチェックしたものだ。捜査本部ができるほどの大事件では、捜査一課長から事件の経緯の発表があったが、通り一遍のものが多く、僕らはまるで刑事のように直接、現場へ行き、取材したものだ。

警視庁は当時七方面に別れていたが、新聞社は各方面の警察に二名から三名の”サツまわり”記者を配置していた。淀橋(新宿}、渋谷、池袋、上野、丸の内、愛宕、大崎などの盛り場を持つ警察にも記者クラブがあった。僕らはここを拠点に取材合戦を展開したが、夜は夜で警察の近くに、事件記者の「ひさご」のようなたまり場があった。取材のため”夜討朝かけ”とびまっわていたが、今考えると過勤料は貰っていたのかどうか。滅茶苦茶の時代だったが、楽しい時代でもあった。