スラウェシ島第一の都会。和蘭植民地時代、日本の占領時代を通じてマカッサルだったが、戦後一時期、ウジュン.パンダンと併用期があり1971年、マカッサル一本となった。
戦争中、蘭印(インドネシア)地域は陸海軍中央協定によりセレベス島以東の地域は海軍の統治地となり、その要の地としてマカッサルに民政府が置かれた。民政府の下に各地に民政局が配置され占領政策が進められた。
マカッサルには戦前からの移住者が多く、戦争直前の昭和16年出版された「蘭印紀行」(渋川環樹著)によると、当時でも170人も日本人が住み、ベチャ(三輪自転車)の製造販売などに当たっていた。
風光明媚な観光地でもある、ポルトガル時代の古い観光遺跡を見学、マカッサル湾に落ちる夕日を見ながらワルン(屋台)で飲むビールとサテ(焼き鳥)の味は格別だ。