語呂合わせから9月9日は「救急の日」である。ふだん、あまりこの種の語呂合せ的な記念日には関心はないのだが、今年は違う。つい先日、急病から救急車のお世話になったばかりだ。改めて、「救急の日」に当たり、わが国の制度を調べてみたら、無料なのは日本ぐらいで、外国によっては救急車を呼ぶと多額な治療費が必要なのをしり、国の医療体制に感謝した。
救急車といえば、われわれ老夫婦は20数年前、沖縄の先島、石垣島で、それぞれ別の機会に救急車のお世話になっている。僕は西表島でJICAのマングロブ植栽研修中、突然、腎臓結石にかかり、高速船で石垣島港から国立八重山病院へ運ばれた。老妻は僕の仕事に同行、休日に武富島でサイクリング中坂道で転倒、同じく高速船経由で石垣港から救急車で八重山病院へ運ばれている。似た者夫婦とはこのことだろう。
昭和30年代の初め頃、警視庁記者クラブに所属したころ、同じ庁舎にあった消防庁の119番司令室はニュース源の一つであった。当時の救急車のサイレンは今の”ピーポー、ピーポ”ではなくて、急を告げるケタタマシイものだった。後で家人に聞いた話では、今回、僕が入院するにあたり、その”ピーポ”音さえ、夜間の住宅街であるのを理由に、家の近くでは音をしぼってもらったという。
今年の夏は猛暑から熱中症で倒れる高齢者が多く、救急車の出動回数も記録だったようだ。僕は119番のお世話になることに抵抗があったが、足腰が抜けた80キロの老体を病院へ運ぶには仕方がなかった。再度、国の救急医療制度に感謝する。
救急車といえば、われわれ老夫婦は20数年前、沖縄の先島、石垣島で、それぞれ別の機会に救急車のお世話になっている。僕は西表島でJICAのマングロブ植栽研修中、突然、腎臓結石にかかり、高速船で石垣島港から国立八重山病院へ運ばれた。老妻は僕の仕事に同行、休日に武富島でサイクリング中坂道で転倒、同じく高速船経由で石垣港から救急車で八重山病院へ運ばれている。似た者夫婦とはこのことだろう。
昭和30年代の初め頃、警視庁記者クラブに所属したころ、同じ庁舎にあった消防庁の119番司令室はニュース源の一つであった。当時の救急車のサイレンは今の”ピーポー、ピーポ”ではなくて、急を告げるケタタマシイものだった。後で家人に聞いた話では、今回、僕が入院するにあたり、その”ピーポ”音さえ、夜間の住宅街であるのを理由に、家の近くでは音をしぼってもらったという。
今年の夏は猛暑から熱中症で倒れる高齢者が多く、救急車の出動回数も記録だったようだ。僕は119番のお世話になることに抵抗があったが、足腰が抜けた80キロの老体を病院へ運ぶには仕方がなかった。再度、国の救急医療制度に感謝する。