「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”希望と元気”をもっと伝えるべきだ 国内聖火リレー始まる

2021-03-25 10:20:01 | 2012・1・1
7月21日の東京五輪開幕式まであと4か月、遠くアテネの地から運ばれてきた聖火の国内リレーが今日25日から3,11大震災の被災地の一つ福島県楢葉町のJヴィレージを出発点に始まった。その模様をNHKのBS中継で見たが、なぜ地上波で放送しなかったのか。五輪パラリンピックは国を挙げての事業でる。聖火リレーはコロナ禍で沈滞気味の国に”希望と元気をとりもどす”絶好のチャンスなのだ。地上波でもっと多くの国民に関心をもたすべきだ。

聖火リレーは福島県を出発、121日間かけて全国859の地点でリレーし1万人が参加の予定だが,今なお島根県知事のように反対の意見があったり、知名ランナーの辞退が続出している。橋本聖子五輪組織委員長は”(聖火リレーは)行く先々の人々に元気、希望、力が届くのを願っていると述べてたが、まさにその通りだ。

コロナ感染リバウンドへの配慮からか、聖火リレー担当現場からは沿道の応援観衆はマスクを
着用、拍手で応援せよとか、有名タレントが走るコースは事前に知らせるなという声があるそうだが、どんなものだろうか。聖火リレーをもっと希望と元気を取り戻す宣伝隊にしてもよい。




12日ぶりの外出 桜満開

2021-03-24 12:11:58 | 2012・1・1
3月11日、月1回のメディカル.チェクに通院して以来12日ぶりに外出した。緊急事態宣言が21日、2か月半ぶりに解除され、宣言発令中休んでいたリハビリ.サービスを再開することにしたことからだ。久しぶりにみる”外の世界”は三日み見ぬまの桜かなであった。送迎の車から見た蕾の硬かった桜は満開に近くなっていた。

47都道府県「住んだ町」「旅した町」(東北)十和田市 奥入瀬渓谷

2021-03-24 05:53:26 | 2012・1・1
”住めば日の本、遊ばば十和田、歩けよ奥入瀬(おいらせ)三千里”-と明治時代の文筆家、大町桂月が自著に書いているが、平成12年(2000年)JICA(国際協力事業団)の研修事業のお手伝いで十和田市を訪ねる機会があった。

十和田市は青森県の南部地域の内陸部にあり、今こそ近隣の町村を合併して人口6万人の中核都市だが、中心部の旧三本木村は江戸時代までは荒野であった。それが明治維新後の国の開拓事業で新渡戸伝(新渡戸稲造の祖父)らの手で河川改修されて穀倉地に変わった。

十和田の名の由来は十和田湖からきているが、湖は十和田市と秋田県小坂町にまたがっており、十和田八幡平国立公園の景勝の地だ.。湖に唯一つ流れこむ奥入瀬川に沿って桂月が”三千里”と詠んだ渓谷は実際は14キロだが、遊歩道も整備されており、四季を通じて観光が楽しめる、


宣言解除明け リバウンドだけは

2021-03-23 06:59:50 | 2012・1・1
2か月半ぶりに緊急事態宣言が解除された昨日22日、僕が勝手に感染の指針としている全国の新規感染者数は822人と3ケタであった。感染ゼロ県も14県、感染1人ー5人の県も10県あり、宣言明け初日としてはまずまず。リバウンドの気配はみられない。このまま終息に向かってもらいたいものだ。

私事にわたって恐縮だが、宣言解除を受けて、宣言発令中休んでいた介護施設の通園リハビリサービスを再開するかどうかケアマネジャーと相談した。昨年の第一次宣言(4月ー5月)の時は施設側が自発的にデイ.サービスを中止したが、今回は宣言発令中でも続けていた。不参加は僕の自分の意思によるものであった。

結局、ケアマネとも相談の上、24日から再開することを決めた。2か月半、週に1回でもリハビリを休んだ結果、90歳の老体のフレイル(老劣)の度合いは深まってきたのを自覚する。”Stay at
home"だが、リバウンド

47t都道府県「住んだ町」「旅した町」(東北)平川市 碇ヶ関

2021-03-22 05:35:15 | 2012・1・1
ここ2、30年全国的な町村合併でど所在するのか分からない市が多い。青森県の平川市もそのひとつかもしれない。2006年(平成18年)、津軽地方の平賀、尾上、碇ヶ関(いかりがせき)の三町村が一つなてできた市だ。筆者は1972年、札幌のテレビに在勤中、津軽三味線の取材で当時村であった碇ヶ関温泉に一泊した。

温泉宿はJR奥羽本線の碇ヶ関駅から近い平川河畔のその昔幕末の吉田松陰や伊能忠孝が泊まったという由緒ある小さな木造二階建ての旅館だったが、運よく、門(かど)付けの盲目の女芸人、ゴゼが三人同宿していた。まだ、半世紀前、昭和の時代であった。

碇ヶ関にはその名の通り、かっての津軽藩の番所の跡があり、往時を偲ぶ記念館がある。温泉宿で食べた名物筍理の美味が忘れられない。





二分咲の東京の桜

2021-03-21 07:13:06 | 2012・1・1
不見識の表現だが、昨夕、緊急事態宣言解除を告げるみたいにまた東北地方中止に大きな地震があった。なにか自然界の”神様”のゲキリンに触れるものがあるのか。
 10日も前に早々と開花宣言のあった東京の桜だが,ここへきての陽気で足踏み状態、近所の遊歩道の桜はまだ二分咲だ。それとも”神様”がコロナ騒ぎで浮かれ出す人間どものため、盛りの時期をコントロールしているのだろうか。
 、人生、卆寿を迎えあと何回花見ができるのか。ぱっと咲き、パット散るのが桜なのだが。

47都道府県「住んだ町」「旅した町」(東北)五所川原 津軽三味線 太宰治

2021-03-20 06:36:04 | 2012・1・1
津軽半島中南部の”津軽”の代表のよう人口5万人ほどの市だがいろいろ話題がある。なんといっても民謡の宝庫であり「津軽三味線」発祥の地ともいえる。津軽五大民謡ーじょんがら節, おはら節、よさこい節、あいや節、三下りは五所川原生まれ、その前奏楽器でった津軽三味線が独立楽器としたのもこの町だという。 昭和58年、JICA(国際協力事業団)の研修事業の仕事で一泊した。仕事の関係から観光は出来なかったが、夜市内の民謡酒場で津軽民謡を堪能した。 「斜陽」、「津軽にて}の作家、太宰治は五所川原と合併する前の旧金木村のうまれである.。父親が建てたヒバ造りの生家が「斜陽館」として残存、公開されている。 民謡にも出てくる、蝦夷、琉球交易で栄えた安東水軍の拠点、十三湖の一部も五所川原であり、歴史遺産として観光客に人気がある。

大関の負けない日がない大相撲

2021-03-19 07:55:04 | 2012・1・1

大相撲春場所が序盤5日目を終えて大荒れだ。横綱鶴竜の休場は問題外としても久しぶりに出場した白鵬が折角2連勝しながらもケガで欠場、正代、朝之山,貴景勝3大関も初日から誰かひとりか二人が負け、5日目までの3大関のトータル成績は8勝7敗。昨日5日目も正代が寄り切ら、貴景勝が押し倒された。大関相撲ではない。

大関だけではない。今場所に大関復帰をかける4連勝だった照ノ富士にも土がついた。この結果、5連勝力士は前頭4枚目の妙義龍一人となった。双葉山時代からの70余年の相撲ファンだが、横綱、大関、三役以外の力士がたとえ序盤といえども連勝で頭に立つのは”前代未聞”だ。

妙義龍がこのまま勝ち進むかどうかわからないが、この1年ほど調べてみたら、2010年1月場所徳勝龍(17枚目)、7月場所照ノ富士(17枚目)11年1月場所大栄翔(1枚目)と3人も平幕力士の優勝が出ている。昔のように番付け通りの時代ではなくなってきたのか。

 

 


47都道府県「住んだ町」「旅した町」(東北)むつ市 恐山 最北端の大間岬

2021-03-18 06:10:19 | 2012・1・1

 

昭和50年(1975年)札幌のテレビ局に勤務中、系列の会議が下北半島の薬研温泉であった。めったに行けない地なので前後数日休暇をとり本州最北端の地を観光して歩いた。むつ市は昭和30年、当時の田名部と大湊とが合併してできた市で、その面積は青森県の12%もある広い市だ。

大湊の名は戦時中「地理」を学ん世代には、横須賀,佐世保とならんで旧海軍の鎮守府のあった軍港と知られているが、田名部は歴史好きの一部が、幕末の頃会津若松松平藩が戊申の役の後,移封された斗南藩があった地としか知られていない。

薬研温泉は下北半島を流れる大畑川上流の渓谷沿いの小さな温泉でかっぱの宿で名が通っている。会議の後、筆者はバスに乗って日本三大霊場といわれる恐山にでかけた。活火山のカルデラ地だが、いかにも霊験ありそうな雰囲気を醸しだしているが、イタコの口よせのお世話にはならなかった。

さらにバスに乗り、本州最北端の地、大間岬へでかけた。マグロの一本釣りの港だが、季節はずれで食にできず最北端の碑を寫眞に収めた。大間から北海道の函館汐首岬港までは海を隔てて17.5キロ、フェリーで1時間足らずであった。なかなかできない3泊4日お旅でった。