「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

気になる新規感染ゼロ県の減少 緊急事態宣言の解除

2021-03-17 07:13:25 | 2012・1・1

首都圏1都3県に発令されている緊急事態宣言について菅義偉総理は今日17日、期限の21日通り解除する旨記者団に表明する(産経新聞17日付け首都圏版1面)。この後総理は18日、専門家を交えた諮問委員で諮った上で正式発表するようだが、素人なりに改めて解除をそんなに急ぐ必要があるのかと思うのだが。

毎日、新聞でその日の新規感染者数の増減に一喜一憂している一人だが、15日の全国の感染者数が695人と少なく、しかも新規感染者数ゼロの県が四国4県をはじめ17県、1人から5人の県が10県、合計すると27県、全国47都道府県の半数以上なのに喜んだ。ところが、16日は1135人に増加、ゼロ県が9に急減している。

新規感染者数は曜日によって違いがあり、それが緊急事態宣言発令の決定材料ではないが、その多少は心理的に気にかかる。解除の好材料ではない。政府筋は解除の理由として病床の逼迫性の緩和をあげているが、次のあ新しい波として、欧州では変異ウィルスが猛威を振るいはじめ、日本でも死者が出てきた。

解除を新聞に前触れまでして大きく知らせる必要があるのだろうか。待望のワクチン接種が始まってきている。解除は外出機会の多いお花見シーズンを過ぎてからでもよいのではないか。

 

   

 

 


47都道府県「住んだ町」「旅した町」(東北)弘前市 お城と桜とリンゴ

2021-03-16 07:03:12 | 2012・1・1

青森県津軽地方の中心である。かっての津軽藩10万石の居城があった。町はお城((弘前城)を中心にした城下町で、武家屋敷,商家など昔の姿が残っている。筆者は昭和60年(1985年)4月、JICA(国際開発事業団)の研修j事業で途上国の研修員に同行、この町を訪れた。

弘前城は津軽藩祖為信が慶長6年(1616年)にで築城400年の歴史を持つ。天守閣は江戸時代9代藩主の時代に建築されているが、東北地方唯一つ現存する国の重要文化財である。天守閣を囲むお堀一帯は現在城址公園となってり、52種、2600本の桜が植えられ4月末の開花時には盛大なさくら祭りが催される。

弘前でもう一つ有名なのはリンゴの生産量が日本一のことだ。明治維新後津軽藩士11人がアメリカから植樹して1ヘクタールの地で栽培し始めたというっ話もあるが、今では市内に「リンゴ公園」があり、市条例で「リンゴを食べる日」まである。ギネスものだろう。

  

 

 


桜の開花 昨年の同じ轍を踏まないで

2021-03-15 07:27:05 | 2012・1・1

昨日14日、東京では靖国神社の染井吉野の桜が咲き開花宣言が出た。例年より12日も早く、昨年と同じく昭和28年調査を開始して以来最も早い記録だという。これを聞いて忘れかけていた昨年の今頃を思い出した。

当時の安部晋三総理が2月28日”断腸の思い”で学校閉鎖を断行したが、3月初めの東京の新規感染者数は15人前後であった。それが開花宣言後の16日には31人、17日には40人と急増してきた。折からWHO(世界保健機構)のパンデミック警告もあって、日本でも緊急事態宣言が必要との声が強まってきた。しかし緊急事態宣言が発令されたのは4月7日である。

お花見のシーズンで人込みが当然予想されるていた。案の定感染者数は急増してしまった。今年はどうか。まさか同じ轍を踏むとは思わないが。写真は近所の遊歩道の桜並木のほころびかけた桜。

 

 


緊急事態宣言解除 本当に大丈夫なのか

2021-03-14 07:27:22 | 2012・1・1

東京など1都3県に発令中の緊急事態宣言は3月21日の期限で解除される方向で政府が検討に入ったと産経新聞(14日付け首都圏版1面トップ)が報じている。週明けの感染の推移を見極めた上で、専門家会議に諮り決定になるとのこと。理由は宣言解除の一つの指標とされる病床の逼迫率が改善傾向にあることらしい。

素人で不見識かもしれないが果たして大丈夫なのか。昨日の東京での新規感染者数は340人とこのところ連日、300人を下らず”横ばいから微増”(西村経済再生担当相)状態、それどころか新たに変異株ウィルスも出始め、東京では都立墨東病院でクラスター感染まで出ている。

個人的なことで恐縮だが、宣言下”Stay at home"を忠実に守り、介護リハビリまで参加を自粛してきた。このためフレイルの度合が深まり、一日も早い宣言の解除を望んでいた。その意味では宣言解除は大賛成なのだが。しかし、野放し状態で解除されては困る。

墨東病院のクラスターは病院関係者が勤務後居酒屋で飲食、午後8時後は医師宅で午前0時まで飲食したのが原因のようだ。何をかいわんやである。高齢者の感染が増加している一因は”アクティブ.シニア”(元気なお年寄り)だともいう。国が笛吹けどもである。特措法をさらに改正取り締まりを強化すべきかも。

 

 

 

 

 

 


47都道府県「住んだ町」「旅した町」(東北)青森 ねぶた

2021-03-13 06:42:27 | 2012・1・1

青森市は本州最北端青森県の県庁の所在地である。かってはここから青函連絡船に乗って4時間かかり函館へ渡ったが、今はJRの列車に乗ったまま海底トンネルを抜け40分で北海道へ渡れる。筆者は1970年代、10年間札幌に勤務、仕事で青森へ何回か出かけたが片道10時間近くかかったのを想いだす。

徳川時代は善知島(うとい)という弘前藩の番所が置かれたた漁村だったが、明治維新後、蝦夷地との往来が多くなるとともに発展した。今では県内一の大都会となり、ネブタ祭りは全国的に知られている。規模は日本一で200万人もの観光客集まる。

市の背後には八甲田山系が連なるが、ここでは明治時代近衛連隊の兵士199人が雪中訓練中遭難するという事故が起きているが、山麓の酢ケ湯は青森の奥の湯である。市街から30キロほどで行ける.、ま冬は2メールをこす豪雪地帯だが、湯質の良さから賑わっている。

 

 

 


東日本大震災 動転 無政府状態だった菅直人内閣

2021-03-12 07:25:34 | 2012・1・1

東日本大震災から10年、昨日は終日テレビであの日を想いだしながら暮らした。東京のわが家でも震度5強、80歳(当時)の僕でも経験したことがない強く長い揺れ方であった。しかし、棚から物が落ちたり、外に飛びだすほどではなかった。地震直後,震源地でまさか大津波が発生、原子力発電所が破壊されるなど大被害が出たとは思いもしていなかった。

昨日、震災後10年、改めてテレビの画面で津波の恐ろしさを思いしったが、同時に僕は震災直後の菅直人内閣の無策,動転ぶりを思いおこした。小ブログは”後手後手の対応”(13日)”しっかりせよ無計画”(14日)”無政府状態"と連日批判している。津波発生後3日もたっても南三陸町では8000人も行方不明であった。一方、菅総理といえば、破壊されその復旧にいそがしい福島原子力発電所に1時間も滞在、全体の危機管理の指揮をしていない。

”動転してきちんとした思考力を失った”(20日)のか菅総理は”自衛隊は暴力装置の仙谷由人氏を官房副長官に据えたり自民党の谷垣禎一総裁を副総理兼復興相に懇請して断られたりしてる。民社党の辻元清美氏をボランティア担当大臣に任命しているが、大災害対応に他にすべきことがあったのでは。

 

 


47都道府県「住んだ町」「旅した町」(東北)石巻市 大震災

2021-03-11 07:18:10 | 2012・1・1

平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の際の地震と津波で大被害を受けた。宮城県北東部の三陸海岸に面した人口13万人の県内第二の港町である。筆者は平成19年4月、松島観光の後、石巻を訪れ数時間だが散歩した。それだけのことで石巻を語るのは僭越なのだがー。

"石巻でよう、その名も高い日和山と民謡斉太郎節でうたわれた石巻最高の日和山は桜が満開だった。案内書に従って日和山から市内を一望、歩いて旧北上川沿いの東北一古い木造教会のハリストス正教会を訪れ漫画家、石森章太郎の記念館を見学した。そのあと繁華街を散策したが不景気で店がシャッターを閉じていたのが印象的であった。

本来の石巻訪問の目的は400年ほど前、伊達政宗が支倉常長ら遣欧使節180人を乗せ船出した月の浦へ行き乗船(復元)「バウティスタ号」記念館を見たかったのだがバスの関係で行けなかった。10年前の津波で記念館も一部壊されたそうだが、遣欧使節の時も4年前の慶長9年(1609年)の大津波で1万人が犠牲になっている。残念ながら石巻再訪の期を逸してまった。

 

 

 


忘却,忘れ去ることなりきか 「3月10日」

2021-03-10 06:34:03 | 2012・1・1

戦前戦中に育った世代にとっては「3月10日」は二つ特別な想いい出と意味をもつ。一つは76年前の昭和20年(1945年)の東京下町大空襲があった日。もう一つは明治38年(1905年)日露戦争で帝国陸軍がロシア軍を旅順(瀋陽)で破り勝利した日、陸軍記念日である。

大空襲のあった時、僕は中学2年生で東京の五反田(品川)に住んでいた。空襲は9日深夜から10日明け方まで続いた。北風の強い夜であった。僕はゲートルを身につけ、いつまでも長く続く空襲と、遠くに見える業火を呆然と眺めていた。まさか、この空襲で10万人の犠牲者が出たとは知らなかった。

僕ら昭和1ケタ銃後の少年世代でも小学校唱歌で乃木大将と敵の将軍ステッセルが旅順開城あいなりて水師営で会談した歌を知っている。日露戦争に勝利してからまだ40年、それを記念した陸軍記念日も身近な日であった。

NHKラジオの早朝の番組「今日は何の日」を聞いていたら大空襲のあった日は平成2年から「都民平和の日」となり、都知事が出席して関係者が集まって犠牲者に黙祷をささげる。しかし、どれだけの人が「都民平和の日」を知っているだろうか。戦後NHKラジオドラマで大ヒットした「君の名は」の冒頭の台詞に”忘却とは忘れ去るなり”とあった。陸軍記念日はまさにその通りである。

 

 

 


小池.黒岩両知事はコロナ感染ゼロ県を教訓に

2021-03-09 08:49:26 | 2012・1・1

東京など一都三県の首都圏に対するコロナ緊急事態宣言が21日まで再延長された初日の昨日8日の東京での新規感染者数は116人、三県も神奈川59人、埼玉65人、千葉73人とそれぞれ久しぶりに低い数字だった。月曜日はおしなべて低いようだが、とにかく新規の感染者の減少は歓迎だ。

一都三県だけではなく8日は全国的にも新規感染者数は少なく700人であった。注目したのは新たな感染者ゼロの県が15もあり、青森、岩手、山梨、和歌山、鳥取、島根、徳島、愛媛、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島の13県は7日、8日と連続2日間、発生者ゼロである。人口の多寡だけが原因なのだろうか。

緊急事態宣言下、推移をみなければ分らないが、気になるのは小池百合子都知事と黒岩祐二神奈川県知事との間で政府への対応をめぐり足並みがそろわず言い合いをしていることだ。そんな時期だろうか。今はテレビ番組の司会者でもキャスターでもない。都(県)民の生命を預かる知事である。埼玉県では変異ウィルス感染者が40人も出ているという。ワクチンも予定どおり接種できるのだろうか。政治遊びされては困る。

 


47都道府県「住んだ町」「旅した町」(東北) 松島町 瑞巌寺

2021-03-08 07:48:05 | 2012・1・1

"松島やああ松島や松島や”で知られる日本三景の一つ松島は宮城県北部の太平洋の松島湾に浮かぶ大小260の島々と標高100mほどの丘陵地にある国宝瑞巌寺のある地域をさす。昭和59年(1984年)と平成24年(2007年)の2回訪れている。

遊覧船に乗ってカモメと一緒に島めぐりは一興があるが、”さあ瑞巌寺ほどの寺はない”と民謡「大漁歌い込み」に歌われている瑞巌寺の国宝五大堂は一見の価値がある。伊達政宗が慶長年間に建造された仏殿で歴史を感じる。

松島観光のあと「大漁歌い込み」と同じ節回しの民謡「齊太郎節」にも出てくる”その名も高き”石巻にも足をのばした。松島も石巻も平成34年の東日本大震災の時の大津波で被害を受けている。あれから10年復興は進んでいるだろうか。