ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

往年の名ソプラノ、エディット・マティスが歌うモーツアルト「すみれ」(ゲーテ詩)

2011年02月22日 | 歌曲
Edith Mathis singt Das Veilchen von Mozart


私が子どもの時、エディット・マティスというキュートなソプラノ歌手をラジオで聴き、それから彼女の歌うモーツアルトのオペラやドイツリートが好きになった。

でも、もうマティスは老いてしまった・・・若々しいさらりん様にはもっと若い歌手を、と思ってマティスを削除してしまった。
でもさらりん様は、私が削除する前にマティスをお聴きになっていて、コメントを頂き、再アップすることになった。

これは老いて来日した時のテレビ放送、和訳も字幕で読める。
ゲーテとモーツアルトという天才がこの曲を世におくった。

曲の内容は、さらりん様がすばらしくお書きになっているのでそれを転載させていただくことにした。次の文はさらりん様のコメント。


山野草の中で菫は好きな花のひとつです。
早春に芽吹き、春の到来と共に
あの愛らしい花を咲かせるのですよね。

楚々とした菫、
軽やかな少女の足音、
少女に恋焦がれる菫、
踏まれても仕合せだったという菫。
可憐ではかなそうな菫の中の強さを感じました。
浅田選手のフリーでは、薄い紫の衣装のせいか、
私はいつも「匂い菫」を感じていたのです。
「すみれ」をお送り頂いて、とてもう嬉しく思いました。

ブッフベルガーの「春への憧れ」は、
若々しく春の華やかさを感じます。
春の到来を待ちわびる、朗らかで可愛いメロディで、
浮き立つような気持ちになります。

「春の野に 須美礼摘みにと来し我ぞ
 野をなつかしみ一夜 寝にける」山部赤人
春まだ浅い野の枯れ草の中、
うつむくように可憐な花を咲かせるすみれ。
万葉の頃と変わらず咲いているのかと思うと、
より愛おしく感じられます。


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テノール歌手ドミンゴ、ピアノを弾き「グラナダ」を歌う♪

2011年02月22日 | 歌曲
Placido Domingo sings and plays Granada


ドミンゴは祖国スペインの歌「グラナダ」をピアノで自ら伴奏し、歌う。
彼は若いころ、声楽の勉強以外に、指揮をマルケビッチに師事し、オーケストレーションと指揮も勉強、指揮者としても活躍できる腕前。
そしてピアノも、チェリストのロストロポーヴィッチの伴奏まで引き受けるほど、マルチ人間。

(ロストロポーヴィッチも、ピアノは本職並みで、声楽の伴奏、そしてあの偉大なリヒテルの「代役」でピアノ協奏曲を弾くなど、これは、けた外れのマルチ人間だけれど。指揮者としてボリショイオペラ、またショスタコーヴィッチの交響曲全部をレコーディングしてしまった。これは世界初の快挙。)

ドミンゴのピアノは即興的でなかなか上手いが、ピアニストとしては無理?でしょう。(ミス・タッチ多し)
でも彼はこうして70以上のオペラを覚えたというのだから、たいしたもの!
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ブッフベルガーのソプラノでモーツアルト「春への憧れ」

2011年02月22日 | 歌曲
M. Buchberger-Lied "Sehnsucht nach dem Fruehling" W.A.Mozart



今日は春のような暖かさ、もうすぐ春です。心もうきうきします。
では、若いドイツのソプラノ、ブッフベルガーが軽やかに歌うモーツアルト「春への憧れ」です。

この曲を聴いて、美しい春の訪れを待ちましょう。

        さらりん様ヘ捧げます。もちろんご旅行で春を見つけられたヴィットリア様、そして皆様にも
                

               
コメント (2)
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福田元首相の「靖国集団参拝」非難に抗議する!

2011年02月22日 | 政治

福田元首相は何を言っているのか!情けない、もう引退しましょう。


靖国集団参拝を疑問視=福田元首相
時事通信 2月21日(月)17時53分配信

 自民党の福田康夫元首相は21日午後、都内で講演し、国会議員による靖国神社の集団参拝について「(靖国神社に)行ってはいかんということではない。しかし、何も国会議員が一緒になってまとまって行くこともないだろう」と疑念を呈した。
 超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は毎年春と秋の例大祭や終戦記念日に集団参拝している。福田氏は「(旧日本軍の)犠牲になった中国人の近親の人の気持ちが分かっていないと思われる。靖国神社におおぴっらに行くというものではないと思う」と指摘した。 


福田氏はどこの国の人か!「犠牲になった中国人の近親の人の気持ちが分かっていないと思われる」だって?
では、福田氏は「国のために命を捧げた多くの日本人兵士やその近親の人の気持ち」をどう思っているのか?

悔しくてモノをぶつけたいような気持だ。
国の為に親や兄弟、妻子を残して散っていかれた日本の英霊には何とこたえるのか!
また、戦争で負傷しながら戦った兵士たちの気持ちをどう考えているのか!

私が認知症で肺気腫・在宅酸素で不自由な父の面倒を喜んでみているのは、父は祖国の英雄だからという気持ちもある。
私がどんなに大変でも、あの時、命がけで戦い負傷した父の苦労を思うと(もちろん、その時は父は学徒で独身だったが)こんな苦労なんて苦労の内には入らない、私は面倒をみさせてもらっている、という誇らしい何かがあるからである。

福田氏の言うことは、これらのすべてを嘲笑うことなのだ。
絶対に許せないことだ。

国会議員の方々がみなさんで靖国に参拝されることは、感謝すべきことで、多くの国民をも呼びかけているのだ。
福田氏には絶対に「靖国参拝」はして頂きたくない。近寄ることも許せない。
この人は、人間として何か大きなものが欠落しているとしか思えない。

サミットの時の、各国首脳夫人をもてなした福田夫人もそうである。
昼食会場にじゅうたんのように薔薇の花弁を大量にしきつめたあの精神は「惨い」としかいいようがなかった。
私たちはたった一輪の花でもいとおしむ。
それを立派な花を大量に買い込んで、花弁をちぎり、床に敷き詰めて踏む、なんて・・・。
それも大変豪華な花々だったときく。・・・しかも、花の費用は国民が払っている。

ゲーテの詩にモーツアルトが作曲したダス・ファイルヒェン、という歌曲がある。
これは薔薇ではなく、スミレなのだが、「かわいい女の子がやってきた、どうかその子につんでほしい、でもその願いもむなしく踏まれてしまった・・・」と悲しむスミレ、おお、哀れなスミレよ・・・とゲーテは書いている。

花は美しく咲き、めでてもらいたいと思っていたはず、それをちぎって床に山のようにばらまくか?
福田夫人の案だということだった。

はたしてそれは心ある各国首脳夫人たちに喜ばれたのか・・・私ならとても踏めない、可哀想で。
そして昼食会が終わったら、床にばらまかれた大量の薔薇の花弁は、ゴミ袋につめられてトラックに積み上げられたという。

趣味の悪い話だ。
「おカネさえ払えばよい」という話ではない。
日本人は活花を通して、花の美しさを愛してきたのではないか。
しかも環境問題でも、これは痛々しい。

この夫婦、鳩山・菅夫妻といっしょに他の国でもどうぞ、気に入った国に行って下さい。
お帰りにならなくてもいいから!
コメント (13)
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