ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

マックス・ローレンツ- 1928 - 悲劇のヘルデン・テノール「ワルキューレ」より

2011年02月25日 | オペラ
MAX LORENZ - 1928 - WINTERST遵祿ME - DIE WALK遵祿E


「ヒットラーのジークムント」などと言われ、悲劇のテノールだったと思う。ナチスのハーケンクロイツのもとで、名指揮者フルトヴェングラーと共演、その素晴らしい歌はヒットラーをはじめ、ゲッペルスなどを感動させ、ドイツのナチスによる国威を高めることとなってしまった。
(しかし、彼の妻はユダヤ人だったのだ。ローレンツにとっては綱渡りだったのだ)

芸術家にどうして責めを向けることができよう。
ナチスに反旗を翻したメルヒオール、そしてドイツの為に歌ったローレンツ、私は高校時代もステレオがなかったので、図書館へ行ってレコードを聴き、その素晴らしさに圧倒された。

ワーグナーへの怖れ、また美しい音楽への憧れ、若い私は悩んだが・・・やはりワーグナーを避けた。私はワーグナーを歌いたかったけれど、どうしても心情的に歌えなかった。美しい音楽に麻薬のように酔う、とか「バイロイト詣で」とか、ワーグナーの世界は怖かった。

それは今もそうだ。心のどこかで私は「歌えない」と思う。
20代のはじめは「タンホイザー」など勉強したけれど・・・ワーグナーがオペラの脚本も書いたこと、その中に相いれない言葉があること・・・それは今も言えない。

でも、このような名歌手に対して心から酔うことができる・・・。そして清濁併せのみ、ユダヤ系の音楽家をひそかに逃した名指揮者フルトヴェングラーを想い、その心境を察することができる・・・立派とか潔癖とか、そういうレベルでなくて・・・恐怖の中で泥にまみれて筋を通すこと、このことの凄さ、私はそれを思うとまだ心が震えるのだ。
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メルヒオールが歌うワーグナー「ワルキューレ」より

2011年02月25日 | オペラ
Lauritz Melchior as Siegmund "Winterst醇вme wichen..."


高校生の時、ふとしたことで古いレコードを図書館で聴いた。
ワーグナー「タンホイザー」や「ワルキューレ」だった・・・そのテノールはメルヒオール、戦前ワーグナー歌手として第一人者だった。

ヘルデン・テノール(英雄テノール)という言葉を知ったのもその時。
そしてワーグナーのオペラの歌い方を直感的に知ったような気がした。包み込むような大きさだった。

また、ローレンツというテノール、この人はナチスのハーケンクロイツのもとで歌った悲劇のテノール、驚くほど素晴らしく、彼を惜しんだ。
しかし、私はメルヒオールの歌い方に、郷愁を感じた。

それは野口さん(父より6歳年上の大学で「同級生」だった友人)が遊びに来た時、「タンホイザー」の一節をドイツ語で歌ったその歌い方。野口さんはメルヒオールのレコードを聴いていたんだ、と思った。(直感は正しかった)

野口さんは家が貧しくて小学校卒業後、丁稚をしていたが、美人のお姉さんが芸者をして学費を出し、またクラシックの演奏会に誘い、レコードを買って与えていたらしく、ドイツリートなど、原語で歌っていた人だ。(そのことは以前に書いたが)

私にピアノ伴奏をさせてワーグナーまで歌った。
父は軍歌と演歌だけ、野口さんはお酒に酔ったら歌を歌ったが、それがどうも本格的なイメージがあった・・・。もちろん素人だが・・・本職は弁護士だった。

メルヒオールの古い録音を聴いた時(それにこの歌い方は戦前の古い歌のスタイルだ)なぜか野口さんを思い出した。郷愁、というのはそれだった。
 
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マリオ・デル・モナコ、ワーグナーを歌う「ワルキューレ」より

2011年02月25日 | オペラ
Mario del Monaco - Die Walkure


当時、世界最高のドラマティック・テノール、マリオ・デル・モナコがドイツ語でワーグナーの楽劇「ワルキューレ」から、英雄ジークムントを歌っている。<父が与えたひと振りの剣>・・・これは全知全能の神(ゲルマン神話)のウオータンがトネリコの木にひと振りの剣を刺した。
これは真の英雄でないと抜けない、ジークムントはこの剣を見事抜くのだが。

ところでデル・モナコが<ヴェルゼ>と歌うところ、いったい何倍伸ばしているのか、これは絶対にゆるされないこと(ワーグナーもビックリ?)だけど、デル・モナコだから、ということもある。
彼のドイツ語はやはり・・・ラテン系!
ドイツ系のヘルデン・テノール(英雄テノール)とは、響きや発声が異なる、硬質のデル・モナコの声がワーグナーの音楽とはやはり違和感があるが、実際に本場のワーグナー歌手もこれだけの声では歌えないだろう・・・でも、違うのだ。デル・モナコの声はまぎれもなくイタリアの輝かしい声なのだから。

ジークムントはやはり・・・かつてのメルヒオールとか・・・バイロイトの歌手のものでしょうね。
音色が違う、そして・・・デル・モナコのドイツ語の語感がワーグナーの音楽と一致しないような気がして・・・。
それを百も承知で楽しむのですが、なんだか・・・悲しくなっちゃう、イタリアの太陽がドイツの陰鬱な空気には合わないようで、ちっとも効果的でなくて空回り、偉大なる声の浪費では?(ごめんなさい、マエストロ・・・)

              この曲はモナコ命さまに捧げます


              
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フランコ・コレッリが歌うカンツオーネ「なぜ?」

2011年02月25日 | 歌曲
Franco Corelli " Pecch醇Q " Malinconica nostalgica canzone


コレッリのカンツオーネ、これはナポリの方言で歌われる。
彼はオペラ歌手としてもすべての条件をありあまるほど兼ね備えた名歌手だったが、カンツオーネを歌っても最高だった。
情熱のテノールである。
ライヴァルのベルゴンツイはヴェルディをスタイリッシュに歌い、格調の高さを示したが、コレッリはオペラを歌ってパセティックな魅力を、そしてカンツオーネではオペラの世界とはまた違った魅力をふりまいたが、その演奏は常に高貴であった。

デル・モナコは引退後、ドミンゴやパヴァロッティのことは笑って語っていたが、コレッリとなると表情がさっと変わった、負けず嫌いのデル・モナコはすぐに表情に出てしまったのだろうか・・・。

                         フローラはな様にこの歌を捧げます 
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