現代史を書くというのは相当難しい作業だと思う。史料には困らないだろうが、読者の経験との整合性が問われるだろうし、膨大な史料をどう捌くかに筆者のセンスが現れるからだ。
筆者はポスト戦後社会の特徴そのものが、戦後社会からの段階的移行ではなく、歴史の自明性が失われ空洞化していくプロセスとして、「左翼運動」、「豊かさ」、「家族」、「地域開発」、「失われた10年」というテーマを取り上げ、多面的にこの時代を記述する。新書という誌面の都合から、各テーマについての掘り下げは、多少不満が残るところがあるものの、戦後からポスト戦後に至る多面的で重層的な変化はよく理解でき、全体としては筆者の狙いは成功していると思う。ユニークな現代史記述としてとても面白い。
この戦後社会からポスト戦後社会への移行というのは、まさに私自身がいきてきた時代そのものでもある。個々の出来事には、当時の自分の体験、記憶とセットになっている。自分が生きてきた時間や空間が、歴史という記述にかかると、こう料理されうるのかということを知るのも面白い経験だ。自分の立ち位置が客観的に位置付けられるからである。
一方で、日頃、如何に簡単で分かりやすい文章を書くかのを考える私のような会社人には学者さん特有の概念的な文章を読むのは、少々骨がおれるところもある。例えば、オウム真理教を記述したところなどは、こんな風に書いていある。
「オウム真理教の側の他者恐怖と日本社会の側の異質な他者への恐怖、オウム的なものに対する興奮状態での排斥は、極度にメディア化した社会のなかでの感情が情緒的に増幅されていった結果であった。」
う~ん、分かったような、分からないような・・・・。 筆者が自分の部下だったら思いっきり赤入れするんだけどなあ~。
こういった文体さえ苦にならなければ、とっても勉強になる一冊である。
筆者はポスト戦後社会の特徴そのものが、戦後社会からの段階的移行ではなく、歴史の自明性が失われ空洞化していくプロセスとして、「左翼運動」、「豊かさ」、「家族」、「地域開発」、「失われた10年」というテーマを取り上げ、多面的にこの時代を記述する。新書という誌面の都合から、各テーマについての掘り下げは、多少不満が残るところがあるものの、戦後からポスト戦後に至る多面的で重層的な変化はよく理解でき、全体としては筆者の狙いは成功していると思う。ユニークな現代史記述としてとても面白い。
この戦後社会からポスト戦後社会への移行というのは、まさに私自身がいきてきた時代そのものでもある。個々の出来事には、当時の自分の体験、記憶とセットになっている。自分が生きてきた時間や空間が、歴史という記述にかかると、こう料理されうるのかということを知るのも面白い経験だ。自分の立ち位置が客観的に位置付けられるからである。
一方で、日頃、如何に簡単で分かりやすい文章を書くかのを考える私のような会社人には学者さん特有の概念的な文章を読むのは、少々骨がおれるところもある。例えば、オウム真理教を記述したところなどは、こんな風に書いていある。
「オウム真理教の側の他者恐怖と日本社会の側の異質な他者への恐怖、オウム的なものに対する興奮状態での排斥は、極度にメディア化した社会のなかでの感情が情緒的に増幅されていった結果であった。」
う~ん、分かったような、分からないような・・・・。 筆者が自分の部下だったら思いっきり赤入れするんだけどなあ~。
こういった文体さえ苦にならなければ、とっても勉強になる一冊である。