劣等感
もともと、劣等感(原語はinferiority complex)はオーストリアの医師で心理学者のアルフレッド・アドラー(1870~1937)によって作られた言葉だそうです。
個人心理学という心理学の分野の創始者ですが、彼は劣等感の重要性を説き、「劣等感は人間が成長していく上で不可欠であり、人の一生のテーマは子供の頃に身についた劣等感を克服して優越を獲得する事である」と言っています。
他にも、米国の著名な心理学者のエリク・エリクソン(1902~1994)は、「6~12歳の学童期において達成すべき事は、学校に行き、読み書き、計算などの基本的な技術を身に付け、他の生徒達と集団の一員としてうまくやっていく事で、これをうまくクリアーすると、その子供にはこれから先、人生を頑張っていく自信が生まれ、反対にクリアーできなかったら、その子供には劣等意識が生じる」とも言っています。
このように劣等感のルーツは子供の頃の育ちにあるわけですが、一旦、生じた劣等感をそのままにするのはあまりお勧めできないようです。生きていく自信を失ってしまい、生きるのが苦痛になってしまう。そのため、何とかしようと、人はいろいろな行動に出るのですね。
優越感を感じたい
人から認められたい
現実から逃避したい
憧れの人や子供に自分を重ねる
など いろいろな例があるようですが、どれも様々なリスクをはらんでいます。
ようは、そのためにまわり道をするリスクや、周囲の人を傷つけるリスクを負います。
私は 劣等感をもって育ちました。
原因はわかりやすく「背の低さ」
中学三年生で147cmといえばわかりやすいでしょうか。
本当にそのことは 全てにおいて 劣等感を私にもたらしました。
高校になり、背が急激に伸びた後も やはりそれは解消されませんでした。
そして 大学生になり 当時の私は寝る間も惜しんで あらゆることを試みました。
たぶん前述した全てを
彼女を作り 大切にして
彼女がいる状態を継続することさえも いつしかなんのためなのかわからなくなるくらい。
自らの劣等感を克服できずにいた時期があります。
その劣等感は
いまや何段階かにわたり 何処かに行ってしまいました。
はじめは大学院をやめて、自らを見つめ直した時期。
二度目は、両親の危篤で生きる目的を見直し、転職を志した時期。
三度目は、今の妻と結婚を決断した時期。
四度目は、お姉ちゃんが産まれた時期。
いろいろな決断を経て 今の自分がある。振り返ると簡単ですが、それはそれはきつい道のり。
それほどまでに劣等感の克服はきついのです。
お姉ちゃんは 脚が皆と同じようでないというハンデからくる劣等感を。
妹さんもまた、姉が障害者であることからくる責任感や使命感を。
普通の人より持ってしまいやすいだろうな。
それを考えた時
私がするべきこと。
それは、たぶん。
少しでも、やはり彼女達がじぶんにじしんを持てるような 拠り所を一つでも二つでも作ってあげること。
それなんじゃないだろうか。
あまり自分を投影して、期待しすぎたりしないように気をつけながら、でもやはり、娘たちに
将来くるであろう 自らの劣等感
そのときには、私では助けにならないだろうから。
せめて今のうちに少しでも
将来の娘たちが 自分に自信を持てるようになる可能性を 選択肢をひろげてあげる。
それだけ。
たぶんあと二三年
お姉ちゃんが私の言うことを 聞いてくれる間。
その間に親としてできること、まずはやってみようと思うのです。
もともと、劣等感(原語はinferiority complex)はオーストリアの医師で心理学者のアルフレッド・アドラー(1870~1937)によって作られた言葉だそうです。
個人心理学という心理学の分野の創始者ですが、彼は劣等感の重要性を説き、「劣等感は人間が成長していく上で不可欠であり、人の一生のテーマは子供の頃に身についた劣等感を克服して優越を獲得する事である」と言っています。
他にも、米国の著名な心理学者のエリク・エリクソン(1902~1994)は、「6~12歳の学童期において達成すべき事は、学校に行き、読み書き、計算などの基本的な技術を身に付け、他の生徒達と集団の一員としてうまくやっていく事で、これをうまくクリアーすると、その子供にはこれから先、人生を頑張っていく自信が生まれ、反対にクリアーできなかったら、その子供には劣等意識が生じる」とも言っています。
このように劣等感のルーツは子供の頃の育ちにあるわけですが、一旦、生じた劣等感をそのままにするのはあまりお勧めできないようです。生きていく自信を失ってしまい、生きるのが苦痛になってしまう。そのため、何とかしようと、人はいろいろな行動に出るのですね。
優越感を感じたい
人から認められたい
現実から逃避したい
憧れの人や子供に自分を重ねる
など いろいろな例があるようですが、どれも様々なリスクをはらんでいます。
ようは、そのためにまわり道をするリスクや、周囲の人を傷つけるリスクを負います。
私は 劣等感をもって育ちました。
原因はわかりやすく「背の低さ」
中学三年生で147cmといえばわかりやすいでしょうか。
本当にそのことは 全てにおいて 劣等感を私にもたらしました。
高校になり、背が急激に伸びた後も やはりそれは解消されませんでした。
そして 大学生になり 当時の私は寝る間も惜しんで あらゆることを試みました。
たぶん前述した全てを
彼女を作り 大切にして
彼女がいる状態を継続することさえも いつしかなんのためなのかわからなくなるくらい。
自らの劣等感を克服できずにいた時期があります。
その劣等感は
いまや何段階かにわたり 何処かに行ってしまいました。
はじめは大学院をやめて、自らを見つめ直した時期。
二度目は、両親の危篤で生きる目的を見直し、転職を志した時期。
三度目は、今の妻と結婚を決断した時期。
四度目は、お姉ちゃんが産まれた時期。
いろいろな決断を経て 今の自分がある。振り返ると簡単ですが、それはそれはきつい道のり。
それほどまでに劣等感の克服はきついのです。
お姉ちゃんは 脚が皆と同じようでないというハンデからくる劣等感を。
妹さんもまた、姉が障害者であることからくる責任感や使命感を。
普通の人より持ってしまいやすいだろうな。
それを考えた時
私がするべきこと。
それは、たぶん。
少しでも、やはり彼女達がじぶんにじしんを持てるような 拠り所を一つでも二つでも作ってあげること。
それなんじゃないだろうか。
あまり自分を投影して、期待しすぎたりしないように気をつけながら、でもやはり、娘たちに
将来くるであろう 自らの劣等感
そのときには、私では助けにならないだろうから。
せめて今のうちに少しでも
将来の娘たちが 自分に自信を持てるようになる可能性を 選択肢をひろげてあげる。
それだけ。
たぶんあと二三年
お姉ちゃんが私の言うことを 聞いてくれる間。
その間に親としてできること、まずはやってみようと思うのです。