300メートルほど離れた郵便ポストに、先ほど「残暑お見舞い」葉書を投函してきた。
住宅地内なので歩いている人もなく静かなのだけど、戸々の小窓からは灯りがこぼれ、人の気配も感じられる。
ひそやかに秋気が訪れている晩夏とはいえ、
まだまだ寝苦しいほどの熱気が篭り、寝つきの遅い家も多いことだろう。
郵便と言えば、かつてはこまめに書いたものだが近頃は随分と億劫になって、賀状を出すのが関の山、面倒になってきた。
いざ書くとなると忘れ字が結構あって、辞書を引くのも面倒な気がしてくる。
いい加減な字を書くわけにもいかないから、結局辞書を繰るわけだけど、もともと辞書を繰る所為は嫌いではなかったので、引いているうちに派生語まで引いていることがある。
インターネットの普及で、通信手段も「書く」から「打つ」に変わり、頭の中で考えなくても文章に沿った漢字が整えられる、いわば便利性の不便によって字体が宇宙遊泳してしまうのだ。
私の数少ない友の中で、O君は定期的に水彩の葉書絵を送ってくれた。だんだんと絵に深みが出て、描いているときの心のひださえ感じられるようになったのが嬉しかった。
その友へ随分と久しぶりに、「残暑お見舞い」状を出したのでした。
住宅地内なので歩いている人もなく静かなのだけど、戸々の小窓からは灯りがこぼれ、人の気配も感じられる。
ひそやかに秋気が訪れている晩夏とはいえ、
まだまだ寝苦しいほどの熱気が篭り、寝つきの遅い家も多いことだろう。
郵便と言えば、かつてはこまめに書いたものだが近頃は随分と億劫になって、賀状を出すのが関の山、面倒になってきた。
いざ書くとなると忘れ字が結構あって、辞書を引くのも面倒な気がしてくる。
いい加減な字を書くわけにもいかないから、結局辞書を繰るわけだけど、もともと辞書を繰る所為は嫌いではなかったので、引いているうちに派生語まで引いていることがある。
インターネットの普及で、通信手段も「書く」から「打つ」に変わり、頭の中で考えなくても文章に沿った漢字が整えられる、いわば便利性の不便によって字体が宇宙遊泳してしまうのだ。
私の数少ない友の中で、O君は定期的に水彩の葉書絵を送ってくれた。だんだんと絵に深みが出て、描いているときの心のひださえ感じられるようになったのが嬉しかった。
その友へ随分と久しぶりに、「残暑お見舞い」状を出したのでした。