conparu blog

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NHK大河ドラマ

2016-01-14 17:02:35 | 随想

NHK大河ドラマ『真田丸』が10日スタートした。前宣伝が絢爛たる幕開けを予報していたように、スタートから戦雲急を告げる展開である。織田徳川連合軍に対する甲州軍団率いる武田勝頼の敗色濃い展開は、やがて天目山への敗走と自刃を滲ませている。勝頼公の菩提寺、曹洞宗天童山景徳院には勝頼と共に夫人と子の信勝が弔われている。信勝は死ぬ前に父自らの手で元服式を済ませたと言う。また三体の首なし地蔵が祀られているのが哀れを誘う。この寺は勝頼主従の菩提を弔うために徳川家康が建立したと説明板にある。

戦国時代も終末期を飾る一大ドラマとして、武田一族の盛衰は花火のように光輝を放っている。しかし此処にも時代の変遷についていけなかった老雄家系の哀れさと云うモノが、現代にも問いかけているような気がしないでもない。
それに比べて織田信長の出来は、機を得て妙な力を発揮した稀有の存在と云うのであろうか、歴史が生き物のように人物を配したエポックそのものと云う感じがするのである。こちらこそ華々しい線香花火の燃えたぎる一瞬を連想させるものだ。
『真田丸』が何処かに行ってしまった感の書き出しになってしまったけれど、信州の小国でありながら大坂と江戸を両天秤にかけて、どちらが勝っても生き残れる道を考えた昌幸の苦渋と、そこに至った思考過程に時代を超えた知恵を感じもし、常識に囚われない自由な発想があったと観るのである。

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