独立と言っても自分のオリジナル製品を作るわけではない。自分でデザインした作品をプレゼントしたことはあるが、あくまでも趣味の範囲である。三〇年も続けた協力工場は偏に多忙の連続で、社長の愚劣さを容認しない間の三〇年であったか、若しくは容認しないまでも無視した三〇年であったが、どちらにしても実態は下請けに甘んじて、会社の利益に貢献してきたという思いはある。
そんな時に社長が外部協力者と幹部とを集めて説明会が催された。その席では突然の工場閉鎖の宣告であった。つまり生産の売り上げに対して人件費の増大が嵩み、これ以上経営を続けるのは難しいと言うのだった。これは口実に過ぎないのではないか?生産が極度に落ち込んだわけでもないし、億ションの不動産を手に入れて私財を積み増す余裕もあったのだから。
社長が外部協力者へ閉鎖の宣言をした後に、其れまで黙って話を聞いていた清二が社長に話しかけた。「私が入社した頃に小包が届いたそうですね」古い事件だが一瞬まわりが静かになった。ただその一言であったのだが、明らかに社長の反応があった。清二が入社した頃に起きた事件で、社員宛名の郵便小包を猫ばばしたと噂に上っていた。社長の対応に戸惑いを見た清二は、息子への世代交代をして難を逃れようとしているのだ、と剛にはそのように思えた。
閉鎖と同時に社長の長男が別会社を起こす手はずになっていた。社長は私を部屋に呼んで、「君が望むなら新しい会社組織で働いてみないか」と云うのである。建売住宅をローンで購入したばかりであり、ほかに手立ても余力もなかったので二つ返事で受諾した。
工場はかなり遠方のK県の山中にあったが、高速道を利用して何とか納品することが出来た。納品日には往路を中央高速道路で走り、帰路は一般国道の曲がりくねった山間の道を、ハンドリングの切り返しを楽しんで走行した。採算度外視の観光納品と言った方が相応しい。
暫くして前社長が死んだ。その一週間前に秘書の儀妹も死亡している。そこに至る経緯には謎がある。ここでは平氏が鳴門の渦潮に源氏を沈めた戦いがあり、共倒れの戦場だったのである。なぜなら会社も名目的にではあるが同時に潰れたからだ。しかし、その息子は形を変えて会社を再興する手はずを整えていたのだから、首根っこを押さえられている清二の立場は、頗る頼りない捕囚の哀れな存在でしかなかったのだ。
清二にすれば鳴門の渦潮に閉じ込められて、藻掻いてもどうにもならない思いに長年浸ってきたので、一朝事あればなどと云う頼朝の気概からは随分と遠い意識に追いやられていた。浮かぶ事も叶わない海底に閉じられている身ではあるが、いつの日か陽の当たる場所に立ち返るのだと云う、暗黙の希求が清二の生を支えていたのは確かである。
であるから、この事を以て全てに終止符がうたれたわけではない。今起きていることは歴史の一ページに過ぎないのだから。
過去を顧みて事象を追うだけなら歴史の傍観者に過ぎないが、歴史に巻き込まれた当事者にしてみれば、これが元で命の危険に曝された身である事を考えると、氷河期に死滅したはずのマンモスが、なぜ20世紀の現代に出現したのか??比喩的なこの問題には人類の謎が隠されているような気がする。この世には解らないことが多くあるようだ。ナンセンスにして解けない難題である。連綿と後世に尾を曳く、彗星のごとき冷ややかな触手で在処を探り、時代のほころびを縫って現われる亡霊。遙かに遡る太古の事変や、源平の争乱に潰えた栄華の残滓に浮遊する亡霊たち、過去に生きた人間の意思、魂と言うものが子々孫々に相伝して、相応の敵対者に報い得るものであろうか?
清明と母親のように、強烈なインパクトで敵と味方を峻別する潜在力は、常識的には此の世のものではない。時代を超越して代々の血脈の中に隠れていて、時としてムラムラと時代の表層に現われてくるのは、それなりの時局の巡り合わせによって眼前の対象者に焦点が合ったときである。時代が平和で協調に彩られた社会では現われてこない現象であるから、よほど陰湿な時代を引き込んで延々と今日の情勢の中に、自らの居場所を保ちつつ潜んで来たものであろう。
翻って国内では、戦争のない平和な時代から争乱の時代へと時局は動きつつある。持てる者と持たざる者の貧富の格差や、憲法の根幹に触れる九条にも手をつけようとしている。国論が二分される大きな問題であるから、時代の悪鬼は虎視眈々と行方を見つめているに違いない。未だに覇権争いに明け暮れるアジアの大国の行方はどうなるのだろう。資源を持つ国と輸入に頼る国の互恵関係はいつまで温存されるのか。大国と中小国の生存競争はナショナリズムに呼応して一層激しくなりそうだ。将来において水などの資源確保と食糧の分配問題では、凄惨な争奪戦が待っているかも知れない。大国による世界支配が崩壊して、新しい世界秩序が出来るまで混沌は続くのだろう。混沌とした時代だからこそ亡霊が闊歩する闇が存在するのである。歴史は繰り返して止まない。
輪廻の永劫の塵芥を引き摺り、あるいは彗星のように光の尾を曳いて後世の闇に現われる悪鬼、それらは時代によって醸成され拡大していく。宇宙組成のマクロ現象が人間社会に波動を及ぼしている可能性も無視できない。地球規模の大変革期を呈している世界情勢を見ていると、もう一つの大きな生命組成体が存在して、宇宙の運行の中で連結しているようにも見える。それにしても今世紀は中山伸弥教授の多能性幹細胞、iPS細胞の再生技術が飛躍的に発展する世紀だ。欠けているものを補い、或いは新たに再生して元に戻すという、は虫類もどきの医科学が時代を引っ張って行こうとしている。スサノオと天照大神は喧嘩をしている場合ではない、蘇えって21世紀の神話を作ってほしい。