conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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心象風景に寄せて

2016-02-25 10:49:27 | 随想

肉眼で見える視界は物の存在を認識する限定的な領域だとすれば、心で見る世界はどうだろう。
理性を通して感知する情報の内面化は、一概に言えば脳の働きによって構築される。
心の領域が理性とともにあるならば、不条理とか不可解なことも自己処理のうちに済んでしまう。
しかし如何にもならない内面の葛藤は生じる。「人生は謎だ不可解だ」と見えないままに崖っぷちに立つ人もいるだろう。
私はどちらかと言えば崖っぷちは避ける方だ。東尋坊には近寄らない。或る程度までは状況を把握するまで歩を進めても、楽観的に解決できるように方向を変えてしまう。

「心象風景」の中では現象界が見えざる糸によって、綾なされていく過程を織り込んだものであります。
現実と云うものが非理性の見えない抽象界を呼びこんで、私たちに語りかけている背景が常に在ると感じています。
奇しくも宇宙科学の研究で、ビッグバーンの衝突による衝撃波を捉えた米チームのように、これからは見えない天体の領域を可視化する作業が加速されるでしょう。
夏目漱石の「門」が朝日新聞に連載されています。宗助が円覚寺塔頭に参禅した時、師から出された公案『父母未生以前本来の面目は何か』その解答はぐるぐる回りで出て来ません。『物を離れて心なく、心離れて物なし』と答えた解はつき返されてしまいました。100人いれば100様の答えが出てくる考案なのでしょうが、なかなか背景の広い宇宙的考案です。

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