『日本人はどこから来たのか?』海部陽介著
この題名からして天空を飛んできた、途轍もない民族の秘密が宿しているように思える。もっとも後発組の天孫族に言えることだが、古人は『海を渡ってきた』とは言わず、『天から降りてきた』と記されるところに、シャーマン的な呪詛の匂いがするのと、文学的資質の天賦を備えていたのだろうと、勝手に想像解釈するのである。古代日本の最初の渡来者は、朝鮮半島経由で島伝いに北九州へ上陸したと言うのが定説になっている。この本でも大陸経由の遺跡年代の追跡によって其のルートが確認された。恐らく渡来第一群は『出雲族』ではないか。
大陸からの渡来ルートは朝鮮半島経由の他に、シベリアから南下した樺太経由や台湾から航海技術によって北上した琉球経由の3ルートがあり、それぞれが本州に進出する年代差のなかで混血を深めていった。海部氏の説明である。
出雲族は本州の広範囲を支配していた大王国であった。東北南部には大国主命の第二子「味鉏高彦根命」の農事開拓を尊崇して、奥州一宮『都々古別神社』を創建していることから、相当の威信があり勢力も強大だったことが想像できる。
2世紀の『卑弥呼の都』は九州北部に限定され、出雲の大王国から見ればローカルな存在である。この勢力図を前提に想像力を逞しくすれば、出雲王国は卑弥呼以前に遣魏使を出していたのではないか?と思う。その費用として大宝山(栃木、福島、茨城県境の八溝山)の金塊を掘出したと古事にあるからである。
さらに想像力を膨らませれば、出雲の大国主命(大物主)と卑弥呼の間に何らかのトラブルが発生して、出雲の九州征伐へと動き出す。出雲は九州全土を制覇して卑弥呼の都は潰えた。あながち空想とばかりも言えないだろう。
天照大神を戴く天孫族の一部が、壱岐国から九州に攻め入り勢力拡大に打って出る。または魏の後滅亡した晋の皇族が南海から九州に上陸した可能性も想像上ではできる。若しかしたら卑弥呼のリベンジを代行したのかも知れない。古代研究者からは怒られるかも知れない、無責任な夢想ではあるけれど、素人の特権?として許して頂こう。
後日追記
夢想論を展開するうえで古事記の記述がベースになっていますが、如何しても「卑弥呼の都」が潰えた後の天孫族、天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)の勢力が強大であったことが腑におちないのである。卑弥呼の属領である「壱岐国」にいた司令部隊が乗り込んで来たというには、卑弥呼との力のバランスが取れない。であるから、もっと進んだ軍事力を具備した一団が、乗り込んできたと想像するのである。ある説には百済王の後裔だとかいわれるが、威光によって周りを服従させる高貴さがあったかどうか?なのである。
天忍穂耳尊の一団にはそれが感じられる。
更に追記
大国主命と「因幡の白兎」についても、暗示的な謎解きが隠されているように思える。因幡の白兎は鰐の背中を伝い渡って、因幡に上陸しようとします。、あと一歩のところで鰐に食いつかれ、皮を剝がれてしまう。無一文になったと言うことでしょう。居合わせた大国主命によって、一命を取り留めた白兎は「貴方はこの国の姫と結婚するでしょう」と予言します。私はこの姫と白兎が一体ではないかと推測しています。大国主命を迎えた白兎は、皮肉にも追放されて下野する処遇となる。・・・卑弥呼と何処かで交わるような気がしてきます。