静けさを求めて2階の自室に引き篭っていると、通りを隔てたもう一つ向こうの通りの家から、早朝からの乱雑な物の落下する音が聞こえる。何事かとみれば屋根瓦を引きはがして、搬送車の荷台に落とし込んでいる作業員の姿があった。効率を優先した処理方法であるが、そこには住民への配慮はない。私にすれば生活臭の生々しい雑音ではあるが、騒音とまでは感じていない。けれども女房が駆け上がってきて言うには、「早朝から五月蠅くてしょうがない!」と騒音の苦情となった。
感性は人によって様々である。コロナ禍に対する予防措置にも、それぞれの感性と規律の差が表われて、地域の差も歴然としている。緊急事態の解除後には急激に悪化して、コロナ感染数は底を這っているどころか、急上昇中なのが気がかりだ。第四波そしてゴールデンウィーク後の第五波が指摘されている。巷でのオリパラ聖火の行進も火が湿るに違いない。期待するのはワクチンだが、医療関係者でも未だ一部の接種に止まっているし、高齢者においても限定された区市に少数のワクチが配られただけであるから、一般の人が対象になるのはかなり先の見通しだ。具体的な納入の期日が示されていないのだから当然だろう。
福島原発汚染水の海洋放出が政府によって決定された。誰が考えても風評被害が起きるであろうことは予測できた。それも気の遠くなるような年月に渡って放棄を続けなければならないのだから、東北南部や関東域の近隣県を含めた農水産物が、海外の不評を買って輸入禁止となるのが予測される。隣国の中国や韓国の早々の反発も予測していたが、ここぞとばかり声高に日本を批判しているのは、政治的に優位に立とうとする姿勢の表れでもある。風評被害については東電が補償すると管さんが言った。原発政策は国が音頭を取って東電と進めてきただけに、国の責任は免れないのだが、補償の原資は結局利用者の国民に跳ね返る。理不尽な思いが汚染水に混じる。