今まで民主主義の旗手として、或いは正義の実践者としてスーパーマンのマントをヒラメカセテキタ御大国。正直に申せば、国が豊かな内は施しをし、貧すればなりふり構わずの搾取もする。世は大きく変わった。人間性から見れば至極当たり前の姿なのだから、驚くに当たらない。火宅無情の世界はつねに荒廃の中にあって、苦痛のなかから呻吟して新しい希望の明かりを見出すように仕向けられているのがわれら。かつての平和な生活が、ほんの一時の慰めであって、次にやってくる困苦の時間が無限とも感じる長い時代を作るとあれば、悪事も頻出するだろうし、それに伴う良識の善事も対立して湧き上がってくる、二項対立の図式がつねに我らの前に提示されるのだ。悪事があるから善事があるのか、善事があるから悪事も生まれるのか、だって我が事の内にもピロリ菌のように潜在してやまない。
パレスチナの惨状はパレスチナ人こそがホロコーストのユダヤ人で、ハザール人のイスラエル人こそがナチスのゲシュタポの二項対立に見えてくるのも皮肉ではある。
パレスチナの惨状はパレスチナ人こそがホロコーストのユダヤ人で、ハザール人のイスラエル人こそがナチスのゲシュタポの二項対立に見えてくるのも皮肉ではある。