格別な熱暑の中でひたすら外出を控えていた夏も、回帰線の彼方に姿を消した。
季節の置き土産は膝関節の衰えとなって、歩数計を携える毎日を送っている。
そのお陰ではあるけれど、如何にか歩行も苦にならなくなって、元のように若やいだ背筋を見せられるようになった(つもりでいる)。
流れる水は留まるところを知らず・・・・・と言いたいところだが
随分と滞留してきたもんだ。
数週間前になるが、さきたま古墳公園を歩いた時はつらかった。
広い公園の中に配置された古墳墳墓の内で、稲荷山古墳と丸墓山古墳の二つに登ってきたのだが、木杭で囲った階段をやっとの思いで上り下りすると棒のような足になっていた。
稲荷山古墳丸木の階段 丸山古墳
稲荷山古墳後円部 稲荷山古墳前方部
自分の勝手ではあるけれど、古墳に登ることによって、ここから出土した『金錯銘鉄剣』の持ち主の息吹と云うか存在を、グーッとひきつけるような気がしたからだ。
博物館の中には実物の銘剣が飾ってある。身はボロボロに錆びているが、刻まれた115字の金文字は5世紀のものとは思えない輝きと、しっかりした字体で甦り、埋葬された「オワケ」臣の言霊に触れた思いがした。
古墳の上は見晴らしがよい。稲荷山古墳からは直ぐ近くに丸墓山古墳がお椀を伏せた形で見え、少し離れた位置に二子山古墳が見える。
5世紀から6世紀の初期くらいまでが、関東地方の古墳時代と言える。
金錯銘鉄剣の稲荷山古墳が造られたのは、古事記や日本書紀が完成される250年前と云われ、すでに文字が使われていたのは驚きです。
近年「のぼうの城」を孫に借りて呼んだ記憶です。
これに吊られていきましたが、お城と古蓮と古墳と
映画化された「のぼうの城」も見ました。
水攻めにした土手のあともありましたね。
水攻めされた忍城が、映画『のぼうの城』になったようです。
守っていた城代の某が「でくのぼう」と言われて
いたけれど水攻めには耐えて見せた。
器量を見せたということでしょう。