奈良市の今朝の最低気温は23.7℃、昼の最高気温は33.6℃、五條市の今朝の最低気温は23.5℃、昼の最高気温は30.3℃でした。今日は奈良県の北西部の一部地域で大きな入道雲が現れ、午後3時ころから5時ころにかけて、各地で強い雷雨がありました。その入道雲が流れていく際、ちょうど我が家の真上を通っていってくれたので、今はたいへん涼しい良い風が窓から入ってきます。多分気温も随分下がっているはずですが、アメダス設置地域にはこの夕立雨は降らなかったため、この変化は記録されていないでしょう。せめてこのブログに涼しい、ということだけは記録しておこうと思います。
さて、ずぼらでSNSとか毎日観てないせいで気づくのが遅れましたが、特撮監督の中野昭慶氏がこの6月27日にお亡くなりになったと知りました。死因は敗血症、享年86歳とのことです。また一人、昭和の重要人物が彼岸へ旅立ってしまいました。
中野監督は、神様円谷英二のあとを受け、1970年代以降の昭和ゴジラシリーズなどの東宝特撮映画を支えた方ですが、ひたすら切り下げられた低予算や会社の方針のために多くの妥協を余儀なくされ、特撮映画としては残念な評価を受けがちな不運の監督だったと思います。私も子供の頃は円谷英二監督の映像からすると痛くチープになってしまった中野特撮には、その内部事情など思いを馳せることなく「つまらない」と思っていましたし、今でも面白いかと言われると「うーん」とうなりたくなる作品もあったりはします。ただ、円谷監督でも、例えば「海底軍艦」のように、過密スケジュールの突貫仕事では、せっかく4基ある主砲を一切使用せず、戦闘は全て艦首の冷線砲こと白色ガスの噴出で片付けてしまうという、ヤマトが波動砲だけですべての敵をなぎ倒して終わり、というような味気ない演出をして、子供心にそりゃないだろと言いたくなったりしたように、限界というものが自ずとあります。その手かせ足かせの極めて制約された中で特撮の火を絶やさずに守り抜いてこられたこと、そして後進を育ててこられたことというかけがえのない業績は、けして神様に劣るものではないでしょう。特撮監督としてフリーハンドで潤沢な予算も用意してやりたいようにやらせてみたらどれだけの絵を撮ってくれたことか、一度でいいから観てみたかったと今さらながら感じます。合掌。
さて、ずぼらでSNSとか毎日観てないせいで気づくのが遅れましたが、特撮監督の中野昭慶氏がこの6月27日にお亡くなりになったと知りました。死因は敗血症、享年86歳とのことです。また一人、昭和の重要人物が彼岸へ旅立ってしまいました。
中野監督は、神様円谷英二のあとを受け、1970年代以降の昭和ゴジラシリーズなどの東宝特撮映画を支えた方ですが、ひたすら切り下げられた低予算や会社の方針のために多くの妥協を余儀なくされ、特撮映画としては残念な評価を受けがちな不運の監督だったと思います。私も子供の頃は円谷英二監督の映像からすると痛くチープになってしまった中野特撮には、その内部事情など思いを馳せることなく「つまらない」と思っていましたし、今でも面白いかと言われると「うーん」とうなりたくなる作品もあったりはします。ただ、円谷監督でも、例えば「海底軍艦」のように、過密スケジュールの突貫仕事では、せっかく4基ある主砲を一切使用せず、戦闘は全て艦首の冷線砲こと白色ガスの噴出で片付けてしまうという、ヤマトが波動砲だけですべての敵をなぎ倒して終わり、というような味気ない演出をして、子供心にそりゃないだろと言いたくなったりしたように、限界というものが自ずとあります。その手かせ足かせの極めて制約された中で特撮の火を絶やさずに守り抜いてこられたこと、そして後進を育ててこられたことというかけがえのない業績は、けして神様に劣るものではないでしょう。特撮監督としてフリーハンドで潤沢な予算も用意してやりたいようにやらせてみたらどれだけの絵を撮ってくれたことか、一度でいいから観てみたかったと今さらながら感じます。合掌。