記者会見から少し経っていますが、女性研究者の報道について思うことを書きます。
自分自身、当初の発見報道のときには素晴らしいことと思い、素直にこのような研究に携わっていたということは、いろいろな意味で励みになることと感じ、SNSなどにそのことを書いた覚えがあります。だからこそ、今回の記者会見に至るまでのいろいろな流れと、そこで見えてきたことについて、正直がっかりしましたし、同時に、自分自身についても情報をどのようにみて考えるのかの部分で反省するところがあると感じています。
ただ報道については、当初の報道以降の姿勢にずっと違和感を感じています。
時系列は正確でないと思いますが、ざっと「論文発表があった … 女性研究者に注目が集まった … 論文が疑わしい … 実験再現がうまくいかない … コピペ問題 … 論文取り下げの話 … 記者会見」という流れだったと思います。
違和感は発表直後からの女性研究者個人を過度に取り上げた報道からです。「リケジョ」というキーワードや、実験中の服装、実験室の内装などから、過剰なまでに個人に焦点を当てるような報道で加熱していた状況は、論文内容の検証を報道自身が置き去りにしていたような感さえあります。
この個人を過度に持ち上げる報道について、個人的にうんざりした気分を感じていたのです。
そして今回の記者会見。あまり見る気がしなかったので断片的な部分しか見ていないのですが、科学的というよりは感情的な会見で、そのことをことさらに取り上げる報道は、実際のところ、発表直後の報道姿勢となんら変わっていないのだなと感じます。今行うべきことは、瞬間瞬間の感情に流されるような報道ではなく、科学的な視点で冷静に情報を整理し報道することだと思います。
たしかに個人について問題や課題はあるのでしょうが、そのことよりも今回の出来事を取り巻いている報道も含めた「私たち」の問題や課題についても整理することが求められるのではないでしょうか。そのような部分について、今回の報道についても食傷気味に感じているのが今です。
ある社会の出来事について、情報を「発信する人」、「広める人」、「受け取る人」が別々なのではなく全部がつながっているはずです。この中で誰かが絶対の正義で常に正しいということはなく、それぞれの立ち位置での責任はあるのではないでしょうか。
そう考えると、今回の件で自分の反省点としては、「受け取る人」としての自分に「検証」の視点が不足していたことがあります。この点は自分の今の立ち位置にとっても非常に大切なことで、今後より気を付けたいと思うところです。