新聞などの報道で政党と地方議員の関係を選挙でつなげる表現があるのですが、そのことがときどき気になります。
たしかに、国会での議席数を確保を考えたとき、選挙での集票に地方議員の存在が大きいことは事実だと思います。また、その地域の地方議員が政党に所属していることを地域の人たちも認知していることは政党広報の一環にもなりますし、いろいろな集会への参加者の動員など政党の認知度をあげる支援も期待できることもあるでしょう。同時に逆の関係、地方議員選挙において候補者にとっては国会議員とのパイプがあるとアピールできたり、国政選挙での貢献に対する票の配分といった形などで見返りが見込めることも、政党と地方議員の関係にあると思います。
そのような部分があるので、政党と地方議員についての報道はそういう考えもあるなという程度に個人的に受け取っています。
ただ、このような政党と地方議員の関係、地方議会での構成なども含めたそれは全国一律ではなく、それぞれの地域性などの違いもありステレオタイプに語れるものでないことを実感しているので、メディアからみた国政と地方議会・議員という関係のという切り口が、ひとつの視点だけに思え違和感があります。また、議会改革の動きの中で学んだことや、多くの自治体議員や首長の方々と交流を持たせて頂き国政と地方議会の関係について自分なりに考えていることもあり、よけいにそう感じるのだと思います。
例えば地方議会のあり方について、山梨学院大学の江藤教授の「チーム議会」という表現や、県教育長も務められた元四日市大学教授の竹下先生の「過去地方議会は国に対してものを申す存在だった」という話などを考え合わせると、選挙を通じての関係以上に地方議会と国政について考えることがあると思います。
いま地方議会と議員は、議会のあり方を検証し見直す時期の途中だと思います。軸となるのは住民の方々との関係であり、自治を担う二元代表の一翼という立ち位置であるといえます。報道においても地方議員についてその観点で考え取り上げてもらいたいと思います。そこがないままこれまでの通念や価値観で、地方議員と政党の関係を取り上げることは、読者つまり住民の方々にとって偏った情報になると思います。国政とのつながりを否定するわけではない、けれども地方議員は自治体議会として国と対峙できる存在であることを、住民の方々と議員が共有することが必要ではないかと思います。
たしかに、国会での議席数を確保を考えたとき、選挙での集票に地方議員の存在が大きいことは事実だと思います。また、その地域の地方議員が政党に所属していることを地域の人たちも認知していることは政党広報の一環にもなりますし、いろいろな集会への参加者の動員など政党の認知度をあげる支援も期待できることもあるでしょう。同時に逆の関係、地方議員選挙において候補者にとっては国会議員とのパイプがあるとアピールできたり、国政選挙での貢献に対する票の配分といった形などで見返りが見込めることも、政党と地方議員の関係にあると思います。
そのような部分があるので、政党と地方議員についての報道はそういう考えもあるなという程度に個人的に受け取っています。
ただ、このような政党と地方議員の関係、地方議会での構成なども含めたそれは全国一律ではなく、それぞれの地域性などの違いもありステレオタイプに語れるものでないことを実感しているので、メディアからみた国政と地方議会・議員という関係のという切り口が、ひとつの視点だけに思え違和感があります。また、議会改革の動きの中で学んだことや、多くの自治体議員や首長の方々と交流を持たせて頂き国政と地方議会の関係について自分なりに考えていることもあり、よけいにそう感じるのだと思います。
例えば地方議会のあり方について、山梨学院大学の江藤教授の「チーム議会」という表現や、県教育長も務められた元四日市大学教授の竹下先生の「過去地方議会は国に対してものを申す存在だった」という話などを考え合わせると、選挙を通じての関係以上に地方議会と国政について考えることがあると思います。
いま地方議会と議員は、議会のあり方を検証し見直す時期の途中だと思います。軸となるのは住民の方々との関係であり、自治を担う二元代表の一翼という立ち位置であるといえます。報道においても地方議員についてその観点で考え取り上げてもらいたいと思います。そこがないままこれまでの通念や価値観で、地方議員と政党の関係を取り上げることは、読者つまり住民の方々にとって偏った情報になると思います。国政とのつながりを否定するわけではない、けれども地方議員は自治体議会として国と対峙できる存在であることを、住民の方々と議員が共有することが必要ではないかと思います。