京都に棲みだしてから、これまでに撮影したカットを眺めていたら、アレッ!である。というのもカットは、古い民家、伝統行事といった具合に、要は歴史系の臭いが漂い、現代の風景を撮影したものが大変少ない。何しろ古都で曲があるのだから、それは当然なのだが、どこを撮影しても古さが顔をだす。
人間というのも我が儘な種類で、こんなに古さが出現すると、逆にメカニカルであったり、新しい最先端の東京の風景が欲しくなる。視覚経験的にバランスをとろうとしているのだろうか。
こんなことに気がついたのも、名古屋の行きつけのスナックで、話の弾みにモノクロの写真が欲しい、ということになり、店のインテリアに合いそうなカットを探していたからだ。ところが最近の私のライブラリーには、適切なカットが少なく、ようやく名古屋で撮影した、このカットを見つけたわけである。
どこかメカニズム、そして鼓動を感じさせるところが、面白いか。
少し諸般の事情で、ブログをお休みする場合もあるので、あしからずご了承願いたい。
出来町通り・名古屋
人間というのも我が儘な種類で、こんなに古さが出現すると、逆にメカニカルであったり、新しい最先端の東京の風景が欲しくなる。視覚経験的にバランスをとろうとしているのだろうか。
こんなことに気がついたのも、名古屋の行きつけのスナックで、話の弾みにモノクロの写真が欲しい、ということになり、店のインテリアに合いそうなカットを探していたからだ。ところが最近の私のライブラリーには、適切なカットが少なく、ようやく名古屋で撮影した、このカットを見つけたわけである。
どこかメカニズム、そして鼓動を感じさせるところが、面白いか。
少し諸般の事情で、ブログをお休みする場合もあるので、あしからずご了承願いたい。
出来町通り・名古屋