竹芝桟橋は山手線の浜松町駅から歩いてゆける。だからといってレストランやバーがあって人々で賑わうといった私達が思い描く港町の風情ではない。
実際海路・陸路の流通中継拠点として倉庫群ばかりだし、殺風景な風景が続く。唯一東海汽船の船が出航する夜の時間だけ人の気配があるが、それ以外は閑散とした街が続く。昔から殺風景な街である。
そんな街でも何かあるかもしれないとカメラを持って歩き回るあたりが、高校時代のバイタリティか。アップした画像は全て1968年2月に撮影した。
トップ画像は水上警察署だ。尖塔のある姿がこのあたりのランドマークになる。その手前に旧国鉄貨物線がある。当時の私はこの線路に沿って周辺を徘徊したのだろう。多分鉄道用地に簡単に入れた。しかし倉庫の風景ばかりだ。今この鉄道は地下に埋設され、いずれ羽田に向かう路線にするという計画を聞いたことがある。最後の画像の木造建築は都立芝商業高校である。今も残されれば東京都の文化財だったかもしれない。今はRCの校舎に変わっている。
もともと竹芝桟橋は夜に出航する伊豆七島の航路以外はなく、人通りの少ない物流エリアである。港の賑わいといってもニューヨークのピア17のようにはゆかないし、それだけの知見をもった計画者も建築家もいなかった。いまではなくてもよい高架歩道を建設し、人の歩かない道と閉鎖的な高層ビル群に囲まれている。
竹芝桟橋にゆくと海が見える高架デッキがあり、そんな程度の設えは文科系事務屋が考え出したアイデアだったのだろう。もちろんアイデア崩れであり誰もいない。これは近隣オフィスワーカーのランチでまれに利用されるぐらいか。だから今でも死んだ街である。というのもゆりかもめ竹芝駅の乗降客数は、4,126人/日と16駅中では13位と低く、近隣オフィスワーカーぐらいしか利用しない街である。今後も人気の少ない寂れた街が続くことだけは確かだ。
機材:Canon6L,50mm/F1.4,ネオパンSS
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