都響の11月定期はプリンシパル・コンダクターのインバルの登場。昨日のBシリーズは次のようなプログラムだった。
(1)ラヴェル:シェエラザード(ソプラノ:半田美和子)
(2)マーラー:交響曲第4番(ソプラノ:同上)
ラヴェルの「シェエラザード」は、過去にも何度か生できいた記憶があるが、これほどオーケストラが雄弁だった演奏は初めて。第1曲の「アジア」では、彫りが深く、起伏にとんだ語り口で詩の内容を表現していた(ときにはソプラノが埋もれがちになることも)。
第2曲の「魔法の笛」はフルート奏者の豊かな音色が印象的。
第3曲の「つれない人」は、オーケストラもソプラノも、3曲中でもっとも音に集中力があった。女の誘いにもかかわらず、つれなく去っていく男の旅人――その不思議な光景はオペラの1シーンをみるようだった。
マーラーの交響曲第4番は、インバルがもう何度も振っているレパートリーなので、すっかり独自のスタイルができあがっている感じ。第1楽章第1主題からして、細かくアクセントがつけられ、伸縮自在、それが音楽に推進力を生んでいる。また、随所にグリッサンドが多用され、こんなにグリッサンドがあったかなと思うほど。それが下品な感じにならないのは、年季の入った表現だからだ。
第4楽章になってソプラノが入る部分では、オーケストラの音を抑えていて、オペラ経験の豊かさを感じさせた。(オーケストラ伴奏つきの歌曲というよりも)ソプラノがオーケストラのテクスチュアーに組み込まれた演奏。末尾のハープとコントラバスの重なりには、音色にたいする明瞭なイメージが感じられ、最後まで息を抜かない意志を示した。
もっとも、手放しで喜んでばかりもいられない。私は、トゥッティでフォルテを鳴らすときに、さらに焦点の合った、引き締まった音を望みたいと思った。もちろん、第3楽章の後半で天国の扉が開く場面のように、否応なく気合の入る部分はよいのだけれど、流れの中で通常に出てくるフォルテの部分で――。
それにしても、第4楽章の歌詞は(いくら民謡詩集とはいえ)ブラックユーモアだ。たとえば次のような1節は、どう考えたらよいのだろう。
ヨハネさまが あの子羊をお放しになる
殺し屋ヘロデが それを狙っている
けなげで 罪のない
けなげで かわいい子羊を
こうしてみんなで殺すのです
これは天国の情景を歌ったもので、「子羊」はもちろんイエスだ。(訳:舩木篤也)
(2009.11.19.サントリーホール)
(1)ラヴェル:シェエラザード(ソプラノ:半田美和子)
(2)マーラー:交響曲第4番(ソプラノ:同上)
ラヴェルの「シェエラザード」は、過去にも何度か生できいた記憶があるが、これほどオーケストラが雄弁だった演奏は初めて。第1曲の「アジア」では、彫りが深く、起伏にとんだ語り口で詩の内容を表現していた(ときにはソプラノが埋もれがちになることも)。
第2曲の「魔法の笛」はフルート奏者の豊かな音色が印象的。
第3曲の「つれない人」は、オーケストラもソプラノも、3曲中でもっとも音に集中力があった。女の誘いにもかかわらず、つれなく去っていく男の旅人――その不思議な光景はオペラの1シーンをみるようだった。
マーラーの交響曲第4番は、インバルがもう何度も振っているレパートリーなので、すっかり独自のスタイルができあがっている感じ。第1楽章第1主題からして、細かくアクセントがつけられ、伸縮自在、それが音楽に推進力を生んでいる。また、随所にグリッサンドが多用され、こんなにグリッサンドがあったかなと思うほど。それが下品な感じにならないのは、年季の入った表現だからだ。
第4楽章になってソプラノが入る部分では、オーケストラの音を抑えていて、オペラ経験の豊かさを感じさせた。(オーケストラ伴奏つきの歌曲というよりも)ソプラノがオーケストラのテクスチュアーに組み込まれた演奏。末尾のハープとコントラバスの重なりには、音色にたいする明瞭なイメージが感じられ、最後まで息を抜かない意志を示した。
もっとも、手放しで喜んでばかりもいられない。私は、トゥッティでフォルテを鳴らすときに、さらに焦点の合った、引き締まった音を望みたいと思った。もちろん、第3楽章の後半で天国の扉が開く場面のように、否応なく気合の入る部分はよいのだけれど、流れの中で通常に出てくるフォルテの部分で――。
それにしても、第4楽章の歌詞は(いくら民謡詩集とはいえ)ブラックユーモアだ。たとえば次のような1節は、どう考えたらよいのだろう。
ヨハネさまが あの子羊をお放しになる
殺し屋ヘロデが それを狙っている
けなげで 罪のない
けなげで かわいい子羊を
こうしてみんなで殺すのです
これは天国の情景を歌ったもので、「子羊」はもちろんイエスだ。(訳:舩木篤也)
(2009.11.19.サントリーホール)