Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

セビリャの理髪師

2011年09月10日 | 音楽
 アルベルト・ゼッダが振るロッシーニのオペラなら、これはもう一も二もなく聴いてみたいのが、ゼッダ・ファンたる所以だ。日本オペラ振興会(藤原歌劇団)の公演で「セビリャの理髪師」。席は奮発して最前列をとった。

 序曲が始まる。編成を最小限に絞っているのだろう、弦の音が細くて、ヨーロッパの小劇場のようだ。ニュアンスは思いのほか細かい。わたしの席からはゼッダの顔がよく見えた。実に表情豊かだ。序曲のなかに一篇のドラマが潜んでいる、そう言いたそうな演奏だった。

 第1幕に入ってからは、すべての曲が、しかもそのすべての部分が、正しく位置づけられた演奏が続く。ゼッダがそこにいるだけで、様式的な真正さが保証されたような演奏。オーケストラと声とのバランスも完璧だ。

 歌手ではアルマヴィーヴァ伯爵のアントニーノ・シラグーザがなんと言っても素晴らしい。第2幕の小フィナーレの直前のアリア「もう逆らうのをやめろ」では、会場の拍手がやまなかった。シラグーザも嬉しそうに応えていた。第1幕では「どうして?」とか「ちょっと待って」とかの日本語を交えて笑いを誘っていた。

 ロジーナはソプラノの高橋薫子。この役はロッシーニの生前からソプラノで歌われることもあったわけだが、メゾとくらべると、だいぶ印象がちがった。メゾだと肉感的な声質になるが、ソプラノだと硬質な感じがした。ロッシーニがソプラノ用に書いた追加のアリア「ああ、もし本当なら」も歌われた。この曲を聴くのは初めてだ。今回は日本初演(小畑恒夫の解説による)。オペラ全体の乾いた様式とは異質な感じがした。挿入された位置は、第2幕のベルタのアリアと嵐の音楽の間だった。

 バルトロの三浦克次とドン・バジーリオの彭康亮(Kang-Liang Peng)は、ともに聴かせどころのコミカルなアリアで、言葉がはっきりしなかった。最前列でさえそうなのだから、どこでもそうだったのではないか。

 演出は松本重孝。とくになにかをするものではなかったが、音楽に寄り添った演技をつけていた。たとえば第2幕のロジーナの歌の練習の場面。「無駄な用心」というオペラ(架空のオペラ)のアリアという設定で、ロッシーニは意図的に凡庸な音楽を書いているが、そこでの演技が丁寧につけられていた。なるほど、こういう面白さは舞台でないとわからないと思った。
(2011.9.9.新国立劇場)
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