Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

レーピン展

2012年09月20日 | 美術
 ムソルグスキーの例の肖像画が来ているレーピン展に、いつ行こうかと思っていた。やっと行くことができた。ムソルグスキー好きのはしくれとしては、実物を観る得がたいチャンスだ。

 思いのほか明るい絵だ。そう思ったのは、背景が明るい空色(クリーム色がかった空色に見えた)のせいだが、もう一つは、ムソルグスキーの表情が、アルコール依存症で廃人同然というよりも、若いころの面影を残していたから――精神性の残滓が感じられるから――だ。これは写真ではわからなかったことだ。

 この作品は1881年3月2~5日に描かれたそうだ。ムソルグスキーが亡くなったのは3月28日(本展の解説では「約10日後に亡くなった」とされている。起算日の取り方の関係だろうか)。ぼさぼさの髪や伸び放題の髭は克明に描かれているが、一方、衣服の描き方は平板だ。多分、ムソルグスキーが亡くなったので、衣服に手を入れる時間がなかったのだろう。ムソルグスキーの最期を描きとめたことで、もう満足したのかもしれない。

 本展で随一の傑作は「皇女ソフィア」ではないかと思うが、これもムソルグスキーに結び付く作品だ。ソフィアは1682年に摂政となったが、異母弟のピョートル1世に失脚させられ、修道院に入れられた。本作は修道院で憤怒に燃えるソフィアを描いたものだが、その凄まじい形相とともに、光沢のある衣服の描写がすばらしい。

 その時代はオペラ「ホヴァーンシチナ」で描かれた時代だ。ソフィア本人は出てこないが、ソフィアが愛人ゴリツィン公にあてた手紙が出てくる。今後「ホヴァーンシチナ」を観るときには、かならずやこの絵を思い出すだろう。

 本展には「作曲家セザール・キュイの肖像」という絵もあった。ムソルグスキーと同様ロシア五人組の一人キュイは、こういう顔をしていたのか。そういえばキュイがどういう顔なのか、今まで知らなかった。作曲家というよりも軍人だ。軍人らしい厳しさと合理性が感じられる。ラフマニノフの交響曲第1番の初演をこき下ろしたそのエピソードがわかる気がした。

 キュイといわれても、作品が思い浮かばなかった。曲名さえ出てこない。ちょっと愕然とした。帰宅してから、ナクソスでピアノ独奏曲「25の前奏曲」を聴いてみた。ハ長調から始まって24の長調・短調をすべて辿り、最後にハ長調に戻ってくる曲。素朴な抒情性のある曲だった。
(2012.9.19.Bunkamuraザ・ミュージアム)
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