ザルツブルクから戻ったその夜にクセナキスの「オレステイア」を観に行った。旅の記録の前に、まずはその記録から。
ラ・フラ・デルス・バウスの演出が素晴らしかった。サントリーホールの空間を縦横に使って、驚きに満ちた、斬新な、そして美しい舞台を作っていた。実はフランクフルトからの乗り継ぎ便でラ・フラが演出した「ラインの黄金」(バレンシア歌劇場の公演、指揮はズービン・メータ)の映像を観た。「これが噂にきくラ・フラか」と感心した。それに勝るとも劣らない演出だった。
その演出を逐一説明することは力に余るが、たとえば冒頭部分、合唱団(ギリシャ悲劇のコロスに相当)が、1階客席の壁際で、クリュタイメストラによるアガメムノン殺害の恐怖を歌っているときに、2階客席の通路ではエリニュス(復讐の女神たち)が跋扈している、といった具合だ。
あるいはカッサンドラ(アガメムノンに捕えられたトロイの王女)が、目前に迫ったアガメムノン殺害と自らの死を予言するとき、舞台上では無数の意味不明な言葉(日本語)が投影された。言葉の投影は今の演出では常套手段とはいえ、この場合自らの言葉が人々に理解されないカッサンドラの状況を伝えて的確だった。
全体的に、「ラインの黄金」では遊びの要素が感じられたが、こちらではギリシャ悲劇の精神に沿った真剣さが感じられた。
クセナキスの音楽は、4分音(半音の2分の1)はもとより、3分音(全音の3分の1)も使われているそうだ(川島素晴氏のプログラム・ノート)。普通の音組織とは異なる音程が頻出するわけだが、それはこの音楽を通常の音楽から切り離し、一種特別なものにしている。さらに打楽器ソロの起用により、原初的な力を生んでいる。
この作品はオペラと銘打たれているが、実感としては、アイスキュロスの原作の、現代における上演用再構成、しかもその成功例と感じられた。
主役は合唱団(コロス)。これを東京混声合唱団が見事に歌った。また東京少年少女合唱隊も大健闘。カッサンドラとアテナ女神の2役を歌った(1人の歌手が複数の役を歌うのもギリシャ悲劇的だ。しかもカッサンドラの場面ではコロスの長とカッサンドラの同時2役!)松平敬さんには感服した。打楽器ソロは池上英樹さん。恰好よくて、しびれそうだ。演奏は東京シンフォニエッタ。さすがの実力。指揮は山田和樹さん!!!
(2012.8.31.サントリーホール)
ラ・フラ・デルス・バウスの演出が素晴らしかった。サントリーホールの空間を縦横に使って、驚きに満ちた、斬新な、そして美しい舞台を作っていた。実はフランクフルトからの乗り継ぎ便でラ・フラが演出した「ラインの黄金」(バレンシア歌劇場の公演、指揮はズービン・メータ)の映像を観た。「これが噂にきくラ・フラか」と感心した。それに勝るとも劣らない演出だった。
その演出を逐一説明することは力に余るが、たとえば冒頭部分、合唱団(ギリシャ悲劇のコロスに相当)が、1階客席の壁際で、クリュタイメストラによるアガメムノン殺害の恐怖を歌っているときに、2階客席の通路ではエリニュス(復讐の女神たち)が跋扈している、といった具合だ。
あるいはカッサンドラ(アガメムノンに捕えられたトロイの王女)が、目前に迫ったアガメムノン殺害と自らの死を予言するとき、舞台上では無数の意味不明な言葉(日本語)が投影された。言葉の投影は今の演出では常套手段とはいえ、この場合自らの言葉が人々に理解されないカッサンドラの状況を伝えて的確だった。
全体的に、「ラインの黄金」では遊びの要素が感じられたが、こちらではギリシャ悲劇の精神に沿った真剣さが感じられた。
クセナキスの音楽は、4分音(半音の2分の1)はもとより、3分音(全音の3分の1)も使われているそうだ(川島素晴氏のプログラム・ノート)。普通の音組織とは異なる音程が頻出するわけだが、それはこの音楽を通常の音楽から切り離し、一種特別なものにしている。さらに打楽器ソロの起用により、原初的な力を生んでいる。
この作品はオペラと銘打たれているが、実感としては、アイスキュロスの原作の、現代における上演用再構成、しかもその成功例と感じられた。
主役は合唱団(コロス)。これを東京混声合唱団が見事に歌った。また東京少年少女合唱隊も大健闘。カッサンドラとアテナ女神の2役を歌った(1人の歌手が複数の役を歌うのもギリシャ悲劇的だ。しかもカッサンドラの場面ではコロスの長とカッサンドラの同時2役!)松平敬さんには感服した。打楽器ソロは池上英樹さん。恰好よくて、しびれそうだ。演奏は東京シンフォニエッタ。さすがの実力。指揮は山田和樹さん!!!
(2012.8.31.サントリーホール)