Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

フリーマン・エチュード

2012年09月26日 | 音楽
 今年はジョン・ケージ(1912~1992)のメモリアル・イヤーだ。普段は聴けそうもないケージの作品がいくつも演奏されている。都合がつくかぎりこの機会を逃すまい、と思っている。昨日はアーヴィン・アルディッティのヴァイオリン独奏で「フリーマン・エチュード」の全曲演奏会があった。

 全32曲。時間にして約100分。途中休憩なし。1曲当たり平均3~4分の各曲にじっと耳を傾けた。この経験は去る9月5日の宮田まゆみの笙独奏による「One9」に似ていた。

 星図表や中国の易経を使って、音高、音価、強弱などを決めたというその曲は、聴くものにとっては、前後の脈絡のない音が、気まぐれに並べられているように聴こえる。それを客席でじっと聴いていることは、控えめにいっても、苦行だった。

 けれども、そう感じたのは、わたしだけだったかもしれない。会場の津田ホールは小さいホールだけれど、それなりに埋まった聴衆は、じっと息をひそめて聴き入った。もちろん居眠りをしている人もいた。わたしもその一人だ。だが静寂は保たれた。それも「One9」のときと同じだった。

 アルディッティの演奏は、曲を追うごとに熱を帯びていった。上記のようなアナログ的ともいえず、デジタル的ともいえない、一見アットランダムな音の配列だが、そこに人間の体温が吹き込まれた。ヴァイオリンの音が温かく感じられた。

 やがて演奏が終わった。会場からは熱狂的な拍手が起きた。それはアルディッティの演奏にたいする拍手だったかもしれないが、たとえそうであっても、ケージの音楽にたいする理解(あるいは愛情)があったうえでの拍手だろう。

 わたしは残念ながら理解できなかったが、これだけ多くの人たちがケージを理解し、または愛していることがわかって嬉しかった。

 アンコールがあった。「こんなにすばらしい聴衆のために、もう1曲演奏します。ケージの、もっと簡単な(笑い)、短い曲です」といって演奏してくれたその曲は、素朴な曲だった。これは気に入った。津田ホールのツィッターを見たら、曲名が紹介されていた。「Eight Whiskus」という曲だ。作曲は1985年。ということは、「フリーマン・エチュード」と同じ時期の作品だ。これには驚いた。あんなに難解な曲を書いているそのかたわらで、こんなに素朴な曲を書いているとは――。ケージの奥深さの一端にふれた思いだ。
(2012.9.25.津田ホール)
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