Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

森は生きている

2012年09月10日 | 音楽
 こんにゃく座のオペラ「森は生きている」を観た。もう何百回も上演されているだろうこの作品を(1954年に劇音楽としてスタートし、オペラになったのは1992年。)観るのは初めてだった。正直にいって、子ども向きの作品と思っていた。それを観る気になったのは、林光が亡くなったからだ。意外なことに、林光が亡くなって、その存在が、小さな、しかしはっきりした輪郭をもった点として、心のどこかに残った。林光なら「(心のどこかで)わだかまっている」と書きそうだ。

 マルシャークの原作は読んだことがあった。幻想性のあるすばらしい児童劇だ。大晦日の夜に1年の12の月の精たちが森に集まって焚き火をする――なんていい話だろうと思った。雪に埋もれたロシアの森が目に浮かぶようだった。

 その児童劇が2幕の(だと思う。途中に休憩が入ったので。)オペラになっていた。第1幕は登場人物の紹介的な面があったが(これは仕方がない)、第2幕に入ったら動きが出てきた。フィナーレで(継母とその娘にいじめられている)まま娘が、12の月の精たちに救われて、純白の衣装に身を包むときには、グッとくるものがあった。

 通路をはさんだ向こうの席の男の子は、席から立ち上がり、前の席の背もたれにつかまりながら、食い入るように舞台を観ていた。これはおそらくこの作品の上演のたびに繰り返されてきた光景だろう。

 プログラムには林光がこんにゃく座と作ったオペラの一覧が載っていた。全24作。原作は、民話、ブレヒト、宮澤賢治、シェイクスピア、カフカ、夏目漱石、チャペック、チェーホフ、井上ひさし、セルバンテス、芥川龍之介など多彩だ。これらの作品群は日本の音楽史でユニークな位置を占めていると思う。

 あらためていうまでもないが、林光はシリアスな音楽も書いている。尾高賞受賞作品のヴィオラ協奏曲「悲歌」はその代表例だ。週末に久しぶりに聴いてみた。20世紀の音楽の流れのなかに組み込まれるべき内容をもった作品だ。今井信子とユーリ・バシュメットの両方のCDを聴いたが、どちらも名演だ。

 林光はこの分野で作曲活動を続ける選択肢もあったろう。だが注力したのはこんにゃく座を拠点にした日本語オペラの創作の道だった。その遺産が24の作品群だ。

 公演について一言だけ。12の月の精たちの衣装は色使いが多すぎた。様式感に欠け、かえって幻想性をそいだ気がする。
(2012.9.6.俳優座)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする