Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ホフマン物語

2013年12月05日 | 音楽
 新国立劇場の「ホフマン物語」。2003年の初演を観たし、2005年の再演も観たので、これで3度目だ。少しも新鮮さを失っていない――そのことに感心した。みずみずしく、美しい舞台だ。10月の「フィガロの結婚」が情けないくらいに崩れていたのに比べて、これはしっかりしている。まずは安堵した。

 記憶では、最後にホフマンが自殺する演出に違和感があった。とくにそれが、だれかに促されてすることに(今回それがステッラの付け人アンドレであったことを確認した。)。そこまでする必要があるのか、ホフマンはもう十分に敗北者なのに――という印象があった。

 でも、今回は不思議なくらい違和感がなかった。こうしないと完結しないのだと思った。

 このオペラは‘死’に彩られている。オランピアは生命をもたない人形だ。アントニアはついに死んでしまう。ジュリエッタは性(=死)の象徴だ。この演出はとりたてて‘死’を強調することはないが、華やかな表面の裏には通底している。その物語を完結させるためのアイディアだと感じた。

 そう感じたのは、ホフマン役のアルトゥーロ・コチャン=クルスの演技がよかったからでもある。最後の場面では哀れをさそう名演技だった。残念ながら音楽面ではいい加減に感じられるときがあったが。

 歌手では外人勢よりも日本勢の健闘が目立った。とくに3人の女性歌手。オランピアの幸田浩子はコロラトゥーラが見事にきまっていた。演技もコミカルで大喝さい。アントニアの浜田理恵は声がよく音楽に乗り、情感豊かに、きめ細かく歌い上げた。10月に東京シティ・フィルがやった「カルメル派修道女の対話」でのブランシュの名唱を想い出した。ジュリエッタの横山恵子はもう少し妖艶さ――外見ではなく音楽に――がほしかった。

 前述のアンドレをはじめ4つの脇役をこなした高橋淳はさすがだ。こういう癖のある役をやらせたら、今の日本では第一人者だ。最後の場面でも、ホフマンに自殺を促してピストルを渡すのがこの人だと、なんだか異様な緊張感が漂う。この人が舞台に復帰してよかった。

 フレデリック・シャスランの指揮にも不満はなかった――そういうと消極的な感じがするかもしれないが、けっしてそうではなくて――。幕開き後しばらくは淡々と進んでいる感じがしたが、オランピアの登場あたりから生気を帯びてきた。その意味でも幸田浩子の貢献は大きかったと思う。
(2013.12.4.新国立劇場)
コメント (2)
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