青木繁(1882‐1911)は今でも人気の画家です。とくにその代表作「海の幸」にはわたしも若いころ夢中になりました。その「海の幸」が描かれた家が今でも残っていると知ったのは最近のこと。千葉県在住の知人が教えてくれました。それ以来なにかの機会に訪れてみたいと思っていました。この3連休に思い切って出かけてみました。
「海の幸」は房総半島の布良(めら)で描かれたことは知っていました。でも、布良がどこにあるかは知りませんでした。調べてみると、房総半島の突端でした。JR館山駅からバスが出ていることもわかりました。知人からそこには安房(あわ)自然村という保養施設があると教えてもらいました。そこで、1泊の旅にしました。
安房自然村にチェックインして、さっそく「海の幸」誕生の家を探しにいきました。案内板があったので、すぐに見つかりました。木造平屋の大きな家。青木繁は1904年(明治37年)の夏、友人たちと2間を借りました。友人の一人は画家の坂本繁二郎。愛人の福田たねもその一人でした。
この家は今も使われている個人の住宅です。中に入ることはもちろん、外から覗きこむことも憚られます。そっと通りすがりの形で見ました。それでも「よくこの家が残っていてくれた」と思いました。当時の情景が目に浮かびました。
今はNPO法人青木繁「海の幸」会が設立され、この家の保存活動をしています。修復のための募金活動中です。資金が集まれば、来年度には着工し、修復後は公開したいとのこと。
さて、次に浜辺を目指しました。歩いて5分程度。小さな砂浜でした。目の前には海が広がっています。海の向こうには右手に富士山、その左に伊豆半島の天城山、さらにその左には(浜辺からは真正面に)伊豆大島が見えます。雄大な景色です。青木繁もこの景色を見たんだなと――。
夕陽になりました。空が眩しいほどの金色に染まりました。段々オレンジ色に変わります。オレンジ色の帯が海に(伊豆大島からこちらに向かって)伸びてきました。やがてオレンジ色がピークを迎え、弱まっていきます。ついに伊豆大島の上に沈みました。この間30分あまり、飽きずに眺めました。
安房自然村に戻りました。夕食前に温泉へ。茶色い温泉です。東京や房総半島でよく見かける温泉です。夕食はカヤ葺き屋根の古民家で。ホテルもあるのですが、古民家のほうを選びました。ビールを飲みながら夕食。
↓青木繁「海の幸」会のHP
http://uminosac.web.fc2.com/
「海の幸」は房総半島の布良(めら)で描かれたことは知っていました。でも、布良がどこにあるかは知りませんでした。調べてみると、房総半島の突端でした。JR館山駅からバスが出ていることもわかりました。知人からそこには安房(あわ)自然村という保養施設があると教えてもらいました。そこで、1泊の旅にしました。
安房自然村にチェックインして、さっそく「海の幸」誕生の家を探しにいきました。案内板があったので、すぐに見つかりました。木造平屋の大きな家。青木繁は1904年(明治37年)の夏、友人たちと2間を借りました。友人の一人は画家の坂本繁二郎。愛人の福田たねもその一人でした。
この家は今も使われている個人の住宅です。中に入ることはもちろん、外から覗きこむことも憚られます。そっと通りすがりの形で見ました。それでも「よくこの家が残っていてくれた」と思いました。当時の情景が目に浮かびました。
今はNPO法人青木繁「海の幸」会が設立され、この家の保存活動をしています。修復のための募金活動中です。資金が集まれば、来年度には着工し、修復後は公開したいとのこと。
さて、次に浜辺を目指しました。歩いて5分程度。小さな砂浜でした。目の前には海が広がっています。海の向こうには右手に富士山、その左に伊豆半島の天城山、さらにその左には(浜辺からは真正面に)伊豆大島が見えます。雄大な景色です。青木繁もこの景色を見たんだなと――。
夕陽になりました。空が眩しいほどの金色に染まりました。段々オレンジ色に変わります。オレンジ色の帯が海に(伊豆大島からこちらに向かって)伸びてきました。やがてオレンジ色がピークを迎え、弱まっていきます。ついに伊豆大島の上に沈みました。この間30分あまり、飽きずに眺めました。
安房自然村に戻りました。夕食前に温泉へ。茶色い温泉です。東京や房総半島でよく見かける温泉です。夕食はカヤ葺き屋根の古民家で。ホテルもあるのですが、古民家のほうを選びました。ビールを飲みながら夕食。
↓青木繁「海の幸」会のHP
http://uminosac.web.fc2.com/