Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

デュトワ/N響

2013年12月09日 | 音楽
 デュトワ指揮のN響。まずプーランクの「グロリア」。デュトワのプーランクならその品質は保証されたようなものだ。明るく薄くパリッとした音のプーランク。プーランクと聞いて想像するまさにそのプーランクだ。

 安心して聴いていたら、最後の第6曲の途中から、幽暗な世界というか、異界に分け入ったような音楽になった。この曲は昔のある時期レコードで何度も聴いたのだが、この部分は忘れていた。ちょっと慌てた。いかにもプーランクらしいといえばいえる変調だ。

 ソプラノ独唱はエリン・ウォール。細い絹糸のような艶のある声でまさにこの曲のイメージどおりの歌唱だった。プロフィールを見るとドンナ・アンナをレパートリーにしているので、けっしてこれだけの歌手ではないだろうと思う。

 合唱は新国立劇場合唱団。とはいっても、同じ日に本拠地では「ホフマン物語」をやっているし、こっちの方だけでも大編成なので、相当数のトラ(臨時契約の団員といった方がいいか)が入っているのではないだろうか。こうなると、質の低下を招かないように最大限の努力が必要になってくる。

 次はベルリオーズの「テ・デウム」。この曲を生で聴くのは初めてなので、ぜひ聴きたかった。生で聴くとどうなのか、その体験が楽しみだった。

 結果は、オーケストラの部分の穏やかさに聴き入った。これは意外だった。穏やかで、けっしてエキセントリックではない、あるいはこけおどしではない音楽だ。大声を張り上げることがない、穏やかな、平明な音楽。

 この曲とセットで「レクイエム」を考えてしまうが、そうとうちがう音楽だ――ということを、プログラムに掲載された小鍛冶邦隆氏のエッセイ「ベルリオーズ《テ・デウム》の管弦楽法」で学んだ。「レクイエム」(1837)は幻想交響曲(1830)以来の急進路線上にあるが、「テ・デウム」(1849)は「キリストの幼時」(1854)、「トロイ人」(1858)にいたる変遷の過程にあるという趣旨。教えられるところが多かった。

 デュトワの指揮もそれを踏まえた指揮だったのだろう。この演奏とそのエッセイとが寸分たがわず呼応していた。そしてわたしは僭越ながら、この曲を捉えることができたと感じた。

 テノール独唱はジョゼフ・カイザー。合唱には国立音楽大学が補強された。児童合唱はNHK東京児童合唱団。児童合唱のみなさんは暗譜だった。
(2013.12.7.NHKホール)
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