日本フィル横浜定期は恒例の「第九」。今年の指揮者は広上淳一。1曲目はワーグナーの「ジークフリート牧歌」。この一年を振り返るには格好の曲だ。というのも、日本フィルにとってこの曲は9月の東京定期で取り上げた曲だから。その定期は特別のものだった。サイモン・オニールとエディット・ハーラーを迎えた「ワルキューレ」第1幕の演奏会形式上演は、画期的な成功を収めた。
そのとき、「ワルキューレ」の前に演奏されたのが「ジークフリート牧歌」だった。それは前座などというレベルではなかった。じわじわと内面的な熱を帯びてくる演奏だった。今までクールなイメージをもっていた指揮者インキネンが、これほどドイツ音楽らしい演奏をすることに驚いた。
その「ジークフリート牧歌」だったが、今回の演奏はきれいに整ってはいるが、内面的な燃焼は感じられなかった。それでいいの?と問いたい気分になった。
さて「第九」。これも内面的な燃焼というか、じわじわと熱を帯びてくる性質の演奏ではなかったが、すべての音に広上淳一の意思が伝わっている――その意味では広上淳一はいま脂がのってきたことを感じさせる――演奏だった。
その演奏を聴きながら、ある啓示を得た。長年の疑問が氷解したのだ。これはよくいわれることだが、わたしも第4楽章には引っかかっていた。第1楽章から第3楽章までの音楽とはまったく異質な、無理に‘接ぎ木’したような有節歌曲による第4楽章をどう考えたらいいのか、考えあぐねていた。
その解答が見つかったのだ。広上淳一の見通しのいい――スコアがそのまま鳴っているような――演奏を聴いていると、第1楽章は浮遊するような――どこへ行くか予測がつかない――音楽であり、今でも十分に衝撃的なのだから、当時の人々には驚天動地の音楽だったろうと想像された。
第2楽章はバッカスの行進を見るようだった。第3楽章は繊細な音の織物だった。どちらも当時としては破格の音楽だったろうと想像された。
以上3つの楽章でベートーヴェンは行くところまで行ってしまったのだと思った。ベートーヴェンは人生のある時期から、当時の人々が付いて来ようが来まいが、自らの道を突き進んだが、ここに至って――第4楽章で――ついに人々と‘和解’したのだ。冒頭で前3楽章のテーマが否定されるのはその意味で解すべきだ。これは‘和解’の音楽なのだと思った。
(2013.12.14.みなとみらいホール)
そのとき、「ワルキューレ」の前に演奏されたのが「ジークフリート牧歌」だった。それは前座などというレベルではなかった。じわじわと内面的な熱を帯びてくる演奏だった。今までクールなイメージをもっていた指揮者インキネンが、これほどドイツ音楽らしい演奏をすることに驚いた。
その「ジークフリート牧歌」だったが、今回の演奏はきれいに整ってはいるが、内面的な燃焼は感じられなかった。それでいいの?と問いたい気分になった。
さて「第九」。これも内面的な燃焼というか、じわじわと熱を帯びてくる性質の演奏ではなかったが、すべての音に広上淳一の意思が伝わっている――その意味では広上淳一はいま脂がのってきたことを感じさせる――演奏だった。
その演奏を聴きながら、ある啓示を得た。長年の疑問が氷解したのだ。これはよくいわれることだが、わたしも第4楽章には引っかかっていた。第1楽章から第3楽章までの音楽とはまったく異質な、無理に‘接ぎ木’したような有節歌曲による第4楽章をどう考えたらいいのか、考えあぐねていた。
その解答が見つかったのだ。広上淳一の見通しのいい――スコアがそのまま鳴っているような――演奏を聴いていると、第1楽章は浮遊するような――どこへ行くか予測がつかない――音楽であり、今でも十分に衝撃的なのだから、当時の人々には驚天動地の音楽だったろうと想像された。
第2楽章はバッカスの行進を見るようだった。第3楽章は繊細な音の織物だった。どちらも当時としては破格の音楽だったろうと想像された。
以上3つの楽章でベートーヴェンは行くところまで行ってしまったのだと思った。ベートーヴェンは人生のある時期から、当時の人々が付いて来ようが来まいが、自らの道を突き進んだが、ここに至って――第4楽章で――ついに人々と‘和解’したのだ。冒頭で前3楽章のテーマが否定されるのはその意味で解すべきだ。これは‘和解’の音楽なのだと思った。
(2013.12.14.みなとみらいホール)