パスカル・ヴェロが振った東京シティ・フィルの定期。パスカル・ヴェロは2011年2月にも振ったそうだが、そのときは聴けなかった。ほんとうに久しぶり。懐かしかった。ヴェロは新星日本交響楽団の首席指揮者を務めていた(1999年~2001年)。わたしは同響が好きで、ずっと定期会員を続けていた。山田一雄、オンドレイ・レナルト、パスカル・ヴェロと続いた首席指揮者はみんな好きだった。だが、同響は2001年に東京フィルと合併した。それに伴い同響の音は消えた――。
ヴェロは2006年に仙台フィルの常任指揮者に就任した。ちょっと驚いた。いつか聴いてみたいと思っていたが、その機会をつかめないでいた。そして今回の東京シティ・フィルへの登場。12年ぶりというわけだ。
ヴェロは1959年生まれだから、今は50代半ば。さすがに髪はロマンスグレーになってきた。新星を振っていたころに比べると、中年の紳士といった風情が出てきた。これはこれでいい味だ。演奏は、溌剌とした、歯切れのいい音楽性はそのままに、安定感とスケール感が出てきた。
1曲目はハイドンの交響曲第82番「熊」。堂々とした大作だ。じつは「熊」というニックネームだけが頭に入っている状態で聴いていた。これは大作だと思った。演奏終了後プログラムを見たら、第82番だった。なるほどと思った。‘パリ交響曲’の一つ。ハイドンを聴く愉しみがもう十分に備わっている曲だ。
演奏はヴェロの音楽性がよく出ていた。ヴェロは昔からフランス音楽だけではなく、ドイツ音楽もよかった。新星時代のヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」を想い出した。
2曲目はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番。宮田大のチェロ独奏がすごい集中力だ。いつもながらその豊かな才能には感じ入る。オーケストラも‘伴奏’のレベルを超えて、この曲を演奏するモチヴェーションの高さがあった。
アンコールが演奏された。なんと、サン=サーンスの「白鳥」。思わず笑みがこぼれた。次の曲、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」への粋な橋渡し。これはもう千両役者だ。
そしてサン=サーンスのその曲。たんに表面的に美しく整えた演奏ではなく、音楽に込められた感情をえぐるように表出した演奏がユニークであり、聴きものだった。アンコールが演奏されたが、これはなくてもよかったかな。
(2013.12.13.東京オペラシティ)
ヴェロは2006年に仙台フィルの常任指揮者に就任した。ちょっと驚いた。いつか聴いてみたいと思っていたが、その機会をつかめないでいた。そして今回の東京シティ・フィルへの登場。12年ぶりというわけだ。
ヴェロは1959年生まれだから、今は50代半ば。さすがに髪はロマンスグレーになってきた。新星を振っていたころに比べると、中年の紳士といった風情が出てきた。これはこれでいい味だ。演奏は、溌剌とした、歯切れのいい音楽性はそのままに、安定感とスケール感が出てきた。
1曲目はハイドンの交響曲第82番「熊」。堂々とした大作だ。じつは「熊」というニックネームだけが頭に入っている状態で聴いていた。これは大作だと思った。演奏終了後プログラムを見たら、第82番だった。なるほどと思った。‘パリ交響曲’の一つ。ハイドンを聴く愉しみがもう十分に備わっている曲だ。
演奏はヴェロの音楽性がよく出ていた。ヴェロは昔からフランス音楽だけではなく、ドイツ音楽もよかった。新星時代のヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」を想い出した。
2曲目はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番。宮田大のチェロ独奏がすごい集中力だ。いつもながらその豊かな才能には感じ入る。オーケストラも‘伴奏’のレベルを超えて、この曲を演奏するモチヴェーションの高さがあった。
アンコールが演奏された。なんと、サン=サーンスの「白鳥」。思わず笑みがこぼれた。次の曲、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」への粋な橋渡し。これはもう千両役者だ。
そしてサン=サーンスのその曲。たんに表面的に美しく整えた演奏ではなく、音楽に込められた感情をえぐるように表出した演奏がユニークであり、聴きものだった。アンコールが演奏されたが、これはなくてもよかったかな。
(2013.12.13.東京オペラシティ)