Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ゴッホとゴーギャン展

2016年12月09日 | 美術
 会期末が迫ってきた「ゴッホとゴーギャン展」へ。ゴッホもゴーギャンもいつでも見られるような気がしていたが、この2人の作品を(時期を区切りながら)交互に並べた展示を見ていると、2人の人生の軌跡が鮮やかに感じられて、予想外に感銘深かった。

 ゴッホ(1853‐1890)もゴーギャン(1848‐1903)も、画家としてのスタートは遅かった。そんな2人の初期の作品は、ゴッホでは「古い教会の塔、ニューネン(「農民の墓地」)」(1885)が印象に残った。半ば廃墟となった教会、陰鬱な暗い空、教会の上を飛ぶ数羽の黒い鳥、無数の墓標。

 一方、ゴーギャンでは「自画像」(1885)が印象に残った。狭い屋根裏部屋でパレットを手にして斜め左を向いた自画像。どこか不安そうな表情。暖色と寒色が入り混じった神経質な、全体的には暗い色調。

 偶然だが、これらの2点は同じ年の作品だ。ゴッホの作品はオランダで、ゴーギャンの作品はデンマークで描かれた。縁もゆかりもない2人の人生行路の、画家としてのスタートを切った時期のこれらの作品が、同じ年に描かれたことが、なんだか象徴的に感じられた。

 2人が南仏アルルで共同生活を送った1888年の約2ヶ月間を前にした頃、ゴッホの作品は一種の頂点を迎えたと思う。精神のバランスはまだ崩れず、緊張した画面構成と明るい色が傑作の数々を生み出す。本展ではその一例の「収穫」(1888)が展示されていた。

 一方、ゴーギャンもその頃に自己の目指す絵画に行き着いたようだ。「ブドウの収穫、人間の悲惨」(1888)はその一例だ。山積みになったブドウの赤は、泡立つ血のように見えないだろうか。その前に腰を下ろし、両手であごを支え、思い詰めたような表情で前を凝視する女の、圧倒的な存在感は、実物を見ないと分からない類のものだ。

 ゴッホの耳切り事件の真相はどうだったのか、いまだに新説が出る状況だが(興味のある方は2016年10月18日の東京新聞夕刊に掲載されたオランダ在住の画家、吉屋敬氏の「ゴッホ・耳切り事件の新事実」をご覧いただきたい)、ともかくその後2人はまたそれぞれの道を歩んで行く。

 最後にゴッホはあのゆらゆら揺れる筆触に辿り着き、ゴーギャンはタヒチの野生に辿り着く。もちろん本展ではそれらの作品も展示されていた。ともに他には類例のない、独自の、あえていうなら孤独な作品群だ。
(2016.12.8.東京都美術館)

(※)上記の作品の画像(本展のHP)
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