オレグ・カエターニの指揮は都響で2度聴いたことがあり、2度ともよい演奏だったという記憶がある。今回は読響に登場。それにも興味を惹かれるが、ソリストにイーヴォ・ポゴレリッチが登場するとあっては、どうしてもそちらのほうに興味が向く。
でも、さすがに聴衆はよく知っていると思った。カエターニにたいする興味も大きいようだ。プログラム前半は、ムソルグスキーの歌劇「ホヴァンシチナ」(ショスタコーヴィチ編曲)から「ペルシャの女奴隷たちの踊り」とボロディンの交響曲第2番。どちらもオーケストラがよく鳴り、明快至極で、スリルにも欠けない演奏が続いた。
都響のときもそう思ったが、長身痩躯のカエターニの後姿を見ていると、フルトヴェングラーに似ていなくもないと思った。フルトヴェングラーのように熱い指揮ぶりではなく、むしろ淡々としているが、長い首がそう思わせるのかもしれない。
演奏後の聴衆の反応は良好で、またオーケストラからも拍手を送られていた。前半2曲は一つのまとまりをもったショート・プログラムで、演奏会はひとまず完結し、後半は別の演奏会というか、ポゴレリッチのリサイタルのような観を呈した。
ポゴレリッチが登場してラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ポゴレリッチ・ファンの方も多くいたのだろうが、わたしはポゴレリッチ初体験。正直言って、恐いもの見たさの興味があったことは否めない。
第1楽章冒頭、ピアノ・ソロが始まる。たしかに遅いかもしれないが、そんなに極端ではない。クレシェンドの過程に細かい抑揚がついている。やがてオーケストラによる第1主題の提示。快適な普通のテンポだ。プログラム前半と同様、よく鳴り、弦の音が美しい。
ピアノがオーケストラを引き継ぐと、テンポが遅くなるが、またオーケストラにバトンを渡すとテンポが戻る。それが何度か繰り返される。結果、音楽の形は崩れそうで崩れない。端的に言って、デフォルメされた演奏という感じはあまりしなかった。
第2楽章以下もそのような演奏が続いた。テンポが遅くなる部分には、ネチッとした独特の感触があり、それがポゴレリッチらしさかと思った。ポゴレリッチのコアなファンにとっては、噴飯ものの感想かもしれないが。
アンコールに第2楽章がもう一度演奏された。気が遠くなるほどテンポの落ちた終結部の美しさが格別だった。
(2016.12.13.サントリーホール)
でも、さすがに聴衆はよく知っていると思った。カエターニにたいする興味も大きいようだ。プログラム前半は、ムソルグスキーの歌劇「ホヴァンシチナ」(ショスタコーヴィチ編曲)から「ペルシャの女奴隷たちの踊り」とボロディンの交響曲第2番。どちらもオーケストラがよく鳴り、明快至極で、スリルにも欠けない演奏が続いた。
都響のときもそう思ったが、長身痩躯のカエターニの後姿を見ていると、フルトヴェングラーに似ていなくもないと思った。フルトヴェングラーのように熱い指揮ぶりではなく、むしろ淡々としているが、長い首がそう思わせるのかもしれない。
演奏後の聴衆の反応は良好で、またオーケストラからも拍手を送られていた。前半2曲は一つのまとまりをもったショート・プログラムで、演奏会はひとまず完結し、後半は別の演奏会というか、ポゴレリッチのリサイタルのような観を呈した。
ポゴレリッチが登場してラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ポゴレリッチ・ファンの方も多くいたのだろうが、わたしはポゴレリッチ初体験。正直言って、恐いもの見たさの興味があったことは否めない。
第1楽章冒頭、ピアノ・ソロが始まる。たしかに遅いかもしれないが、そんなに極端ではない。クレシェンドの過程に細かい抑揚がついている。やがてオーケストラによる第1主題の提示。快適な普通のテンポだ。プログラム前半と同様、よく鳴り、弦の音が美しい。
ピアノがオーケストラを引き継ぐと、テンポが遅くなるが、またオーケストラにバトンを渡すとテンポが戻る。それが何度か繰り返される。結果、音楽の形は崩れそうで崩れない。端的に言って、デフォルメされた演奏という感じはあまりしなかった。
第2楽章以下もそのような演奏が続いた。テンポが遅くなる部分には、ネチッとした独特の感触があり、それがポゴレリッチらしさかと思った。ポゴレリッチのコアなファンにとっては、噴飯ものの感想かもしれないが。
アンコールに第2楽章がもう一度演奏された。気が遠くなるほどテンポの落ちた終結部の美しさが格別だった。
(2016.12.13.サントリーホール)