Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯守泰次郎/日本フィル

2016年12月10日 | 音楽
 飯守泰次郎指揮の日本フィルで湯浅譲二の「始源への眼差Ⅲ――オーケストラのための」(2005年)が再演された。湯浅譲二の音と語法を十分理解した演奏だったと思う。

 飯守泰次郎は、ワーグナーをはじめとするドイツ音楽のイメージが強いが、湯浅譲二のこの曲の初演者は飯守泰次郎だった。オーケストラは日本フィル。2005年2月のことだ。そのときのプログラムはバッハの「パッサカリアとフーガ ハ短調」(ストコフスキー編曲)から始まり、湯浅譲二の曲が4曲というもの。その最後にこの曲が初演された。

 11年ぶりの再演だ。正直にいって、初演のときの記憶は薄れているが、今回の演奏は、前述のとおり、ほんとうによかったと思う。湯浅譲二の音の世界が再現された。

 湯浅譲二の音の世界――それはなんだろう。わたしのような素人がいうのも何だが、あえてわたしがどう聴いているかをいうと、音の美しさと語り口のうまさだ。オーケストラ曲にかぎらず、どんな曲を聴いても、それを感じる。透明で澄んだ音の多層的な構造と滑らかな語り口。その根底には電子音楽の発想があるような気がする‥。

 時々思うのだが、「クロノプラスティクⅡ」(1999)には「E・ヴァレーズ頌」という副題が付けられ、「クロノプラスティクⅢ」(2001)には「ヤニス・クセナキスの追悼に」という副題が付けられている。ヴァレーズとクセナキスという、音楽史から切り離された‘単独者’(佐藤紀雄氏の言葉の借用)が選ばれていることは、偶然ではないように感じる。

 西洋と東洋とか、日本とか、そういった空間性を超えたグローバルな、もっといえば宇宙的な存在として、また20世紀音楽の流れとか、音楽上のイズムとか、そういった時間性を超えた絶対的な存在として、湯浅譲二は音楽を捉えているのではないだろうか。

 1929年の生まれなので、現在87歳のはずだが、とてもそういうお年には見えない。演奏会場でお見かけすることも多く、そういうときには、わたしは遠くから黙礼している。

 さて、当日の演奏に戻って、2曲目はブラームスの「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」が演奏された(ヴァイオリンは千葉清加、チェロは辻本玲、ともに日本フィルのメンバー)。わたしは辻本玲の太い音が気に入った。

 3曲目はシューマンの交響曲第3番「ライン」。飯守さんらしい熱演だった。
(2016.12.9.サントリーホール)
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