Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

向井潤吉展

2018年10月24日 | 美術
 向井潤吉展の会期末が迫ってきたので、無理をして行ってきた。

 向井潤吉(1901‐1995)は古民家の画家として知られている。その作品は多くの日本人に郷愁を覚えさせる。チラシ(↑)に使われている作品は「六月の田園」(1971年)。場所は岩手県岩手郡滝沢村(向井潤吉の古民家の作品には場所が明記されている)。

 近景に水田と古民家、中景になだらかな里山、遠景に岩手山を描いている。かつては日本のどこにでも見られたが、今は失われて、作品の中だけに残っているような風景。抒情的だが、仔細に見ると、古民家を取り巻いて組まれた木の枝や、外壁に立てかけられた木の枝が、一本一本リアルに描かれている。またチラシではわかりにくいが、左の端に洗濯物が干されている。

 向井潤吉が古民家の絵を描くようになったのは、戦後になってから。戦時中は従軍画家として作戦記録画(戦争画)を描いていた。悲惨な結果に終わったインパール作戦の前線に行ったときは、小説「麦と兵隊」(1938年)の作家・日野葦平(1906‐1960)と行動を共にした。二人は戦後も親交を続けた。

 向井潤吉は戦時中に「民家図集」というシリーズ物の本を入手した。古民家の写真に平面図と簡単な説明を付けた写真集(本展に展示されている)。それを防空壕の中に持ち込んで読んだ。なにか感じるところがあったのだろう、敗戦直後の秋に、疎開していた長女を迎えに行った新潟県で、最初の民家の絵を描いた。

 その最初の民家の絵は「雨」(1945年)という作品。それも本展に展示されている。まだ「六月の田園」のような作風ではなく、どんよりとした暗い空とぬかるみの道が、ヴラマンクの作品に通じるものを感じさせる。

 それ以来1980年代の終わりまでの40年あまりが、向井潤吉の古民家の歩みだ。テーマは古民家で一貫しているが、私見では1970年代の半ばから後半にかけてピークを迎えると思われる画力の高まりと様式的な完成が、じわじわと迫る。ピークの時期の作例としては、「雨後千曲川」(1977年)の画像が本展のHPに掲載されている。

 画業の最後の時期である1980年代の後半は、平明で穏やかな作風に変わる。本展のHPの冒頭に載っている作品はその時期の「遅れる春の丘より」(1986年)。世界が静止したような不思議な感覚がこの時期の作品に共通する。
(2018.10.23.世田谷美術館)

(※)本展のHP
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