Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

秋山和慶/日本フィル

2022年06月18日 | 音楽
 ラザレフがウクライナ情勢を受けて来日を見合わせた。代役を引き受けたのは秋山和慶。それに伴い曲目も変わった。フランス音楽名曲選のようなプログラムだ。名匠・秋山和慶が日本フィルからどのような演奏を引き出すか。日本フィルの常連の指揮者にはないタイプなので、興味と期待が高まった。

 1曲目はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。アーティキュレーションの明確な演奏だ。細部に緻密なニュアンスが施されている。リズムが明瞭に浮き出る。ムードに流れる演奏ではなく、音楽的な構造がしっかりしている。一言でいうと、秋山和慶らしい演奏だ。それが日本フィルには新鮮だ。フルート独奏は首席奏者の真鍋恵子。当夜のプログラム中、3曲にフルート独奏がある。フルート奏者にはおいしいプログラムだ。

 2曲目はラヴェルの(両手のほうの)ピアノ協奏曲。ピアノ独奏は小川典子。5月に角野隼斗の独奏で聴いたばかりだ(オーケストラは藤岡幸夫指揮東京シティ・フィル)。角野の尖った演奏にたいして、小川典子の演奏は、オーソドックスではあるが、磨き上げた仕上げのよさが見事だ。第2楽章はガラス細工のような輝きがあった。

 アンコールにドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が演奏された。しっとりとして、感性の襞にしみこむ演奏だ。わたしは小川典子がBISレーベルから出したドビュッシーのピアノ曲全集が好きなのだが、その演奏を思い出した。

 休憩後の3曲目はフォーレの管弦楽組曲「ペレアスとメリザンド」。きめの細かい細心のアンサンブルだ。これは悪口ではなく、賛辞としていうのだが、日本フィルのイメージを一新するようなインパクトがあった。わたしは日本フィルの定期会員なので、ラザレフ、インキネン、カーチュン・ウォンなどとの最上の演奏を聴いているが、それらの演奏とはまた肌合いの異なる、日本人的な感性の湿り気をもつ演奏といったらよいか。

 4曲目はラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。もう何度聴いたかわからない曲だが、冒頭の「夜明け」の音型が、まさに泉が湧き出るように聴こえたのは、ほんとうに久しぶりだ。「無言劇」での真鍋さんのフルート独奏は、当夜のフルート・プログラムを締めくくるかのように、一段と高らかに鳴り響いた。

 秋山和慶は日本フィルが吸収すべきものを多く持っていることが、当夜の演奏を通じて明らかになったように思う。言い換えれば、いまの日本フィルは秋山和慶が持っているものを吸収できる状態にある。ラザレフの来日中止というアクシデントがもたらした共演ではあるが、それが今後につながることを願うのは、わたしだけではないと思う。
(2022.6.17.サントリーホール)

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