Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

メータオ・クリニック支援の会編「国境の医療者」

2019年05月03日 | 読書
 タイとミャンマーの国境の(タイ側の)町メソットMae Sot(メソト/メーソート)。その郊外にある診療所メータオ・クリニックMae Tao Clinicは、ミャンマーからタイへの難民・移民に無償で医療を提供している。同クリニックを財政的・人的に支えているのは、外国からの支援だ。日本のメータオ・クリニック支援の会が編さんした「国境の医療者」(新泉社)は、同会が派遣したボランティアたちのリレー・エッセイ。

 第1代派遣員(2007.7‐2009.5)から第7代派遣員(2017.8‐2018.9)までの約10年間の記録。そのうちの1人は医師だが、他の6人は看護師・保健師。医師の記録も生々しくて興味深いが、看護師の記録も、そもそも看護の概念がない現地に行って、看護の立ち上げに苦闘する過程がリアルだ。

 国境地帯の現状とはこういうものか、医療ボランティアの現実とはこういうものかと、その体験談に惹きこまれる。

 メソットの難民・移民はカレン人だ。ミャンマーは多民族国家で、約7割はビルマ人が占めるが、残りの約3割は多くの少数民族に分かれる。そのうちの一つがカレン人。わたしは新聞報道などでカレン人という言葉は知っていたが、その実態については無知だった。

 難民・移民としてタイ側に逃れた人々もいるが、国内難民となってミャンマー国内を転々としている人々もいる。国内難民の人々も国境を越えてメータオ・クリニックを訪れることがある。

 一例を紹介すると、ある日、11歳の少女が1歳の妹を連れて、ミャンマー国内から6時間の道のりを歩いてメータオ・クリニックを訪れた。妹が高熱で痙攣を始めたという。少女の足には靴がなく、汚れて赤茶けていた。少女の母親は以前高熱と下痢で亡くなっていた。妹がそれと同じ症状だと思って、怖くなり、泣きながら必死に歩いてきた。

 少女の父親はタイで出稼ぎをしている。少女と妹は、目の悪いおばあちゃんと地雷で足を失ったおじいちゃんに面倒を見てもらっている。そのような子どもはミャンマー国内では多く見かけるそうだ。(本書223~225頁)

 本書が記録する約10年間でもミャンマー情勢は大きく変わった。アウンサンスーチー氏の率いる政党が政権を握ったので、民主化の進展と少数民族との融和が期待されるが、その反面、外国からの援助がミャンマー国内にシフトする現象が起きて、メータオ・クリニックの財政を揺るがしている。国境地帯の現実は一朝一夕には変わらないのだが‥。本書はそんな状況にも触れている。

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