Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木優人/N響

2021年01月28日 | 音楽
 もともとはトゥガン・ソヒエフが振るはずだったN響の定期だが、鈴木優人が(プログラムを変えずに)代役に立った。そのプログラムは、バッハの「ブランデンブルク協奏曲第1番」、ベートーヴェンの序曲「コリオラン」そしてブラームスの交響曲第1番というもの。個々の曲目はなんの変哲もないものだが、序曲がプログラムの真ん中にくるという一風変わった構成だ。

 演奏会が始まってわかったのだが、休憩はブラームスの前ではなく、ベートーヴェンの前に入った。その結果、バッハが切り離され、休憩をはさんで、ベートーヴェンとブラームスで一組になるという(プログラムの前半と後半で性格の異なる)二段構えのコンセプトになっていた。おもしろい発想だ。他の曲目でも応用できそうだ。

 バッハの「ブランデンブルク協奏曲第1番」は鈴木優人がチェンバロの弾き振りで、弦、木管(オーボエ3、ファゴット1)、金管(ホルン2)は立奏。その奏者たちが大きく体を揺すりながら演奏する。とくにファゴットの水谷さんとホルンの福川さんの動きが大きい。まるでバロックはダンスだ!といっているようだ。演奏は、縦の線を合わせる演奏ではなく、またバランスを整える演奏でもなく、各人目いっぱい弾けた演奏。それは鈴木優人の意向だろう。

 前述のとおり、そこで休憩が入って、プログラム後半はベートーヴェンの序曲「コリオラン」から。直線的にわき目もふらずに突進する演奏だ。弦は12+12+10+8+6の編成。中低音が分厚く鳴る。鈴木優人が2019年12月のN響定期で振ったメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」とはイメージがちがう。

 最後のブラームスの交響曲第1番も分厚い音でひたすら突進する演奏。だが序曲の「コリオラン」はともかく、ブラームスのこの大作は、それだけでは料理しきれない。わたしはだんだん単調さをおぼえた。ベートーヴェンとブラームスでアプローチが似ているため、疲れてきたのだ。端的にいって、いま上り調子にある鈴木優人ではあるが、N響相手にこの曲はまだ荷が重いのかと思った。

 バロック音楽から現代音楽まで自由に行き来する鈴木優人は、わたしの希望の星だが、メンデルスゾーンのような前期ロマン派はともかく、ブラームスやその同時代人の音楽は、また別問題というか、まだ十分にスタンスが定まっていない感があった。では、今後どうするのか。後期ロマン派をふくめたオールラウンドな指揮者を目指すのか。そこを外したところで個性的な指揮者を目指すのか。指揮者人生は長いので、ここは考えどころだと思った。
(2021.1.27.サントリーホール)

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