Zooey's Diary

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「中国行きのスロウ・ボート」

2010年06月07日 | 
先日、高校時代の文藝部の仲間が集まる機会があり、
懐かしい連中と、久しぶりに文学論なども少々交わしたのでした。
その時、村上春樹の作品の中で何が一番好きか?という話になり、
「中国行きのスロウ・ボート」の名を挙げた友人が二人いたので驚きました。
私も昔、確かに読んだことがあるのですが、どちらかというと薄い印象しかなくて
内容をすっかり忘れていたくらいだからです。
春樹の初期の短編集、ウチの書棚にもあったので
久しぶりに読んでみました。
その中で、「午後の最後の芝生」に私は一番魅かれました。

彼女に別れを告げられたばかりの大学生の「ぼく」は
夏のバイトに芝刈りをしていたが、もうその仕事をやめようと思う。
最後の仕事に行った家の女主人は、投げやりでぞんざいな話し方をするが
夫と娘をなくし、悲しみに包まれていた。
彼女は「ぼく」に娘の部屋を見てくれという。
見たところでは、この家の娘は「感じのいいきちんとした」女の子のようだった。
「ぼく」はわけもなく悲しくなってきた。

これだけの話です。
登場人物の誰もがやさしいし、誰もが寂しい。
しかし、その寂しさを共感することも、寄り添うこともできない。
関わり合うことで、孤独は更に増していく。
外では夏の日射しと蝉の声が痛いほどに溢れている…
泣きたいような切なさとやさしさと。
眩しい日射しと人の孤独が交差する一場面を
さっくりと切り取ったような、そんな作品です。
どうしてこれを忘れていたのだろう?

加えて、出てくる小道具がにくい。
ジム・モリソン、ポール・マッカートニー、FENのロックンロール、
芥子の効いたハムとキュウリとレタスのサンドイッチ、コカ・コーラ、ウオッカ・トニック。
こうして見ると、春樹の初期の作品というのは
こうしたポップで明るいアメリカン・グラフティのような小物に彩られた
切ない孤独感に満ちているなあとつくづく思うのです。
安西水丸のイラストが合う筈です。

中国行きのスロウ・ボート
コメント (2)
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