Zooey's Diary

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「蜜蜂と遠雷」タイトルの意味は…?

2017年05月23日 | 


昨年度の直木賞と本屋大賞のW受賞。
”ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説”
(本書の帯より)

養蜂家の父とともに各地を転々とし、自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳。
かつて天才少女として騒がれたが、母の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンで、コンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。
完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・アナトール19歳。
この4人が挑む、 第1次予選から本選までおよそ2週間に渡るピアノ・コンクール、
その間の悩み、挫折、成長の様子を描き上げたものです。

本書を読む前、この題名についていささか不満がありました。
「ミツバチと遠雷」「ハチミツと雷鳴」なんだっけ?
本の題名といえば、言うまでもなくその看板であるのに、なんて紛らわしい、
印象に残りにくい題名をつけるのだろう?と。
その意味を探すような思いで読み進めました。

冒頭「エントリー」の中に、こんな文章があります。
”明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符であると。
そして、世界とは、いつもなんという至上の音楽に満たされていたことだろう。”

重要な登場人物である風間塵は「蜜蜂王子」とも呼ばれており、
蜜蜂という言葉は本書の中に何度も登場するのですが
「遠雷」という言葉は一度も出て来ない(多分)。
第三次予選の前、塵が亡き恩師ホフマンからの「音楽を連れ出せ」という宿題に悩み、
冬の雨の街を彷徨い歩くシーンがあります。

”塵は空を見上げる。
風はなく、雨は静かに降り注いでいた。
遠いところで、低く雷が鳴っている。
冬の雷。何かが胸の奥で泡立つ感じがした。
稲光は見えない。”

「遠雷」に一番近い言葉が出てくるのはここかな。
してみると、蜜蜂は塵、そして遠雷は恩師ホフマンを表しているのかもしれません。
或いは、もっと大きなもの、天命のようなものか。

「世界は音楽で満ち溢れている」
本書の中に何度も出てくる言葉です。
こちらの大きなテーマであるのでしょうけれど
私は亜夜の、この言葉に一番感じ入りました。
”たゆたう時の流れの底に沈んでいるさみしさ、普段は感じていないふりをしている、
感じる暇もない日常生活の裏にぴったりと張り付いているさみしさ。
たとえ誰もが羨む幸福の絶頂にあっても、満たされた人生であったとしても、
すべての幸福はやはり人という生き物のさみしさをいつも後ろに背負っている。”

公式HP http://www.gentosha.jp/articles/-/7081
コメント (5)
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