読売新聞の昨日の特集記事「あれから」。
日本のマクドナルド1号店店長の山迫毅氏を取り上げています。
1971年7月、銀座三越の一階にオープン。
わずか45平米の店舗には座席もなく、立って食べるか持ち帰るしかない。
立ち食いは今よりも行儀が悪いとされていたその頃、毎日閑古鳥が鳴いていたところに、思いがけない救世主が現れたのだそうです。
オープンして数週間後の8月のある日曜日、数十人の外国人が突然現れて注文し、賑やかに銀座通りを歩きながら食べ始めた。
ボーイスカウトの世界大会の参加者たちが、制服姿のままで。
それを見てカッコいいと、若者や女性が堂々と立ち食いを始めたのですって。
そこから人気はうなぎ上り、72年10月8日の売り上げは222万円を超え、全世界の店舗の新記録を樹立したのですと。
その1号店の開店から84年の閉店まで関わり、陣頭指揮をとったのが山迫氏。
彼が若い頃アメリカでマックに出会い、紆余曲折を経て29歳で1号店の店長となり、そこからどれほどの苦労と工夫の末にマックを日本中に広めたかが詳細に書いてありましたが、それは長くなるので割愛します。
山迫氏は82歳の今もお元気で、経験を生かした「キャリア教育」の講師を務め、週一回は店舗に通ってビッグマックを食べているのだとか。
氏のマックに捧げた全生涯も凄いが、45平米の店が全世界売り上げ一位になるとは、私はそこに痛く感じ入ってしまったのでした。
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写真はマックではないのですが、近所の溶岩焼きハンバーガーの店Campus。
ここは犬連れ可の店で、どうも視線を感じると思ったら、可愛いビションフリーゼに見つめられていました。
日本のマクドナルド1号店店長の山迫毅氏を取り上げています。
1971年7月、銀座三越の一階にオープン。
わずか45平米の店舗には座席もなく、立って食べるか持ち帰るしかない。
立ち食いは今よりも行儀が悪いとされていたその頃、毎日閑古鳥が鳴いていたところに、思いがけない救世主が現れたのだそうです。
オープンして数週間後の8月のある日曜日、数十人の外国人が突然現れて注文し、賑やかに銀座通りを歩きながら食べ始めた。
ボーイスカウトの世界大会の参加者たちが、制服姿のままで。
それを見てカッコいいと、若者や女性が堂々と立ち食いを始めたのですって。
そこから人気はうなぎ上り、72年10月8日の売り上げは222万円を超え、全世界の店舗の新記録を樹立したのですと。
その1号店の開店から84年の閉店まで関わり、陣頭指揮をとったのが山迫氏。
彼が若い頃アメリカでマックに出会い、紆余曲折を経て29歳で1号店の店長となり、そこからどれほどの苦労と工夫の末にマックを日本中に広めたかが詳細に書いてありましたが、それは長くなるので割愛します。
山迫氏は82歳の今もお元気で、経験を生かした「キャリア教育」の講師を務め、週一回は店舗に通ってビッグマックを食べているのだとか。
氏のマックに捧げた全生涯も凄いが、45平米の店が全世界売り上げ一位になるとは、私はそこに痛く感じ入ってしまったのでした。
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写真はマックではないのですが、近所の溶岩焼きハンバーガーの店Campus。
ここは犬連れ可の店で、どうも視線を感じると思ったら、可愛いビションフリーゼに見つめられていました。
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