Zooey's Diary

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「ホワイト・クロウ」

2019年05月30日 | 映画

「ホワイト・クロウ」という言葉には「類まれな人物、はぐれ者」の意味があるそうです。
若くしてフランスに亡命したロシア人バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフの実話に基づく物語。

貧しい家庭に生まれて民族舞踊に親しんでいた幼少期、国費でレニングラードの
バレエ・アカデミーで学んだ青年期、そして1961年にフランスに亡命した20代の初めと
舞台は3つの時代に分けられます。
ヌレエフはタタール系の貧しい家庭の生まれで、シベリア鉄道の車内で生まれたと言います。
幼少期から民族舞踊に親しみ、国費でレニングラードのバレエ・アカデミーに入学。
その頃からかなり傲慢で我儘、自己中心的で協調性のない性格であったが、
しかしバレエへの情熱と才能は誰にも負けなかったようです。



努力の甲斐あってキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)に入団。
1961年に初めての海外公演でパリに行き、美しい芸術や自由な雰囲気に夢中になります。
フランス人の友人を作り、ルーブル美術館に通い、夜の酒場に出掛けたりするが、
その行動はKGBに逐一監視されていた。
彼の勝手な行動は当局の目に余り、遂にソ連に強制送還されようとするが
素直に従うヌレエフではなかった。
そこで有名なパリの空港での亡命劇が展開されるのですが…



当時、共産圏から西側への亡命とは、これほどまでに死に物狂いのものだったのだと
よく分かりました。
あそこでああ出なかったら、間違いなく強制収容所に連行されたでしょうから
ヌレエフの必死さはよく分かります。
しかし祖国に残された家族は?
指導教員であったプーシキン(レイフ・ファインズ)らのその後は?
そこが知りたかった。



映画でヌレエフを演じたオレグ・イヴェンコは、タタール国立オペラ劇場のプリンシバルであり、
オーディションで選ばれたと言います。
画面には「ラ・バヤデール」「ドン・キホーテ」など古典バレエのシーン、
そしてルーブル美術館、エルミタージュ美術館、ステンドグラスのサントシャペル教会などが
次々に登場して楽しめます。
ヌレエフは1993年にAIDSのため54歳で死去したそうですが
エンドロールに出て来る本人の踊る姿は、輝くばかりのものでした。


映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』

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