「ホワイト・クロウ」という言葉には「類まれな人物、はぐれ者」の意味があるそうです。
若くしてフランスに亡命したロシア人バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフの実話に基づく物語。
貧しい家庭に生まれて民族舞踊に親しんでいた幼少期、国費でレニングラードの
バレエ・アカデミーで学んだ青年期、そして1961年にフランスに亡命した20代の初めと
舞台は3つの時代に分けられます。
ヌレエフはタタール系の貧しい家庭の生まれで、シベリア鉄道の車内で生まれたと言います。
幼少期から民族舞踊に親しみ、国費でレニングラードのバレエ・アカデミーに入学。
その頃からかなり傲慢で我儘、自己中心的で協調性のない性格であったが、
しかしバレエへの情熱と才能は誰にも負けなかったようです。
若くしてフランスに亡命したロシア人バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフの実話に基づく物語。
貧しい家庭に生まれて民族舞踊に親しんでいた幼少期、国費でレニングラードの
バレエ・アカデミーで学んだ青年期、そして1961年にフランスに亡命した20代の初めと
舞台は3つの時代に分けられます。
ヌレエフはタタール系の貧しい家庭の生まれで、シベリア鉄道の車内で生まれたと言います。
幼少期から民族舞踊に親しみ、国費でレニングラードのバレエ・アカデミーに入学。
その頃からかなり傲慢で我儘、自己中心的で協調性のない性格であったが、
しかしバレエへの情熱と才能は誰にも負けなかったようです。
努力の甲斐あってキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)に入団。
1961年に初めての海外公演でパリに行き、美しい芸術や自由な雰囲気に夢中になります。
フランス人の友人を作り、ルーブル美術館に通い、夜の酒場に出掛けたりするが、
その行動はKGBに逐一監視されていた。
彼の勝手な行動は当局の目に余り、遂にソ連に強制送還されようとするが
素直に従うヌレエフではなかった。
そこで有名なパリの空港での亡命劇が展開されるのですが…
当時、共産圏から西側への亡命とは、これほどまでに死に物狂いのものだったのだと
よく分かりました。
あそこでああ出なかったら、間違いなく強制収容所に連行されたでしょうから
ヌレエフの必死さはよく分かります。
しかし祖国に残された家族は?
指導教員であったプーシキン(レイフ・ファインズ)らのその後は?
そこが知りたかった。
映画でヌレエフを演じたオレグ・イヴェンコは、タタール国立オペラ劇場のプリンシバルであり、
オーディションで選ばれたと言います。
画面には「ラ・バヤデール」「ドン・キホーテ」など古典バレエのシーン、
そしてルーブル美術館、エルミタージュ美術館、ステンドグラスのサントシャペル教会などが
次々に登場して楽しめます。
ヌレエフは1993年にAIDSのため54歳で死去したそうですが
エンドロールに出て来る本人の踊る姿は、輝くばかりのものでした。
映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』
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