読売新聞の「時代の証言者」は今、加藤登紀子氏を取り上げています。
新宿のロシア料理店「スンガリー」には何度か行っていますが、加藤氏の父親が始められたと聞いていました。
登紀子は、ハルピン学院を経て関東軍や南満州鉄道に勤務していた父親の関係で、1943年満州生まれ。
敗戦後に家族で命からがら引き揚げてきたそうですが、昨日はその高校時代についての記事。
登紀子が都立駒場高校2年の時、兄が一橋大で学生運動をやっていたことから、安保条約を巡るデモに制服のまま参加。途中で高校生は帰るように言われ帰宅すると、学生と機動隊が激突したというニュースが流れ、東大生の樺美智子さんが死亡したと。
そして法案は可決され、脱力感にさいなまれたそうですが、母親はこう言ったそうです。
「あなたたちは、国の恐ろしさを理解していない。国やその後ろにいるアメリカを相手にして、勝てるわけがない。でも大義のために声をあげ、戦ったこと自体が素晴らしい、それを誇りにしていい」
その言葉は、その後の彼女の人生の指針となったのだと。
加藤登紀子といえば、東大卒の反戦歌手というイメージを持っていました。
彼女の歌で私が好きな「100万本のバラ」は、元はラトビアの歌を原曲とするロシア語の歌なのだそうです。
そして愛を歌う日本語版とはまるで異り、大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示するものなのだと。
ラトビアをウクライナに言い換えても、ぴったり嵌ってしまうのが悲しい。
写真は、玉川高島屋の薔薇。
新宿のロシア料理店「スンガリー」には何度か行っていますが、加藤氏の父親が始められたと聞いていました。
登紀子は、ハルピン学院を経て関東軍や南満州鉄道に勤務していた父親の関係で、1943年満州生まれ。
敗戦後に家族で命からがら引き揚げてきたそうですが、昨日はその高校時代についての記事。
登紀子が都立駒場高校2年の時、兄が一橋大で学生運動をやっていたことから、安保条約を巡るデモに制服のまま参加。途中で高校生は帰るように言われ帰宅すると、学生と機動隊が激突したというニュースが流れ、東大生の樺美智子さんが死亡したと。
そして法案は可決され、脱力感にさいなまれたそうですが、母親はこう言ったそうです。
「あなたたちは、国の恐ろしさを理解していない。国やその後ろにいるアメリカを相手にして、勝てるわけがない。でも大義のために声をあげ、戦ったこと自体が素晴らしい、それを誇りにしていい」
その言葉は、その後の彼女の人生の指針となったのだと。
加藤登紀子といえば、東大卒の反戦歌手というイメージを持っていました。
彼女の歌で私が好きな「100万本のバラ」は、元はラトビアの歌を原曲とするロシア語の歌なのだそうです。
そして愛を歌う日本語版とはまるで異り、大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示するものなのだと。
ラトビアをウクライナに言い換えても、ぴったり嵌ってしまうのが悲しい。
写真は、玉川高島屋の薔薇。
よく知っています。
でもお母上の偉大さはこれまで知らなかったです。
わが家の母親とはあまりにも違い、愕然とします。
当時彼氏だった夫君の部屋にこっそり泊まったりした思い出もあるそうで、、、
流れ的に寮内で歌うことになり、
その時、急遽ギターをチューニングしたのが、実は次男でした。
くちこは、友達から、くちこの息子が今テレビに出ていると、取り急ぎの電話を貰ってビックリ‼️
なんて、繋がりが?あるんです。
百万本のばら、その曲で体操教室の発表会でみんなと踊ったくちこですよ。
勿論、昔話。
何も知らずに加藤登紀子さんの作曲かと思っていました。
ラトビアの苦難、歴史的に重いベースがあったんですね。
玉川高島屋のバラの美しさに感心しました。
お手入れが行き届きていますね。
買物に行って目の保養も出来ますね(^_-)-☆
ちょっとやそっとでは動じないという感じであったらしいです。
普通はとても真似できませんよねえ!?
世の中、何処でどうつながっているか分かりませんね?
藤本氏、早くに亡くなられてしまったのですね。
登紀子さんがもう79歳であることにも驚きましたが…
くちこさんが100万本のバラを踊った!
それにもビックリ~!
原曲は歌詞が違うと知って驚いたのですよ。
原曲は「マーラが与えた」というタイトルで
マーラというのはラトビアの神様なのですって。
玉川高島屋のローズガーデン、本当に綺麗です。
近くですので、よくショッピングやランチをしています。